SSブログ

検討の余地 [国語]

「検討がつかない」というテロップを見て、相変わらずテレビは情報を扱うメディアなのに日本語能力が低いなと思ったその翌日、ある本を読んでいたら、「検討はついていた」という文章に出くわした。どちらも予想や見込みが立つか立たないかという文脈であるため、正しくは「見当」であろう。
 読んでいた本というのは専門書や文学書の類ではなく、小説とも実録とも判断のつかない、たわいもない読み物だった。とはいえ文字だけで勝負する媒体にも関わらず、このような見当違いの変換で印刷されてしまうのは、執筆者にとっても編集者にとっても恥ずかしいことだ。誤植等のミスはいつの世にもあるとはいえ、最近とみに目立っているような気がするのは思い過ごしだろうか。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

もてなし [見聞]

【こんなことを見聞きしたシリーズその9】

 某スーパーにて。おばあさんが店員にある商品の場所を聞いたらしく、店員が「こちらにあります」と示してからのこと。商品はレトルトの「炊き込み御飯の素」。

おばあさん「ああ、これねえ」
店員「今はこれだけしか置いてなくて、申し訳ありません」
おばあさん「いえいえ、ありがとうございます。土曜日に孫が千葉から遊びに来るんですよ。だから炊き込み御飯を作ってあげようと思って」
店員「ああそうですか。それはいいですね」

 なんてこともない会話のように聞こえるのかもしれない。が、しみじみと、切ないというか、複雑な気分になった。孫が来るというので祖母が喜んで食事を用意しようとする場合、想像するのは、人参や牛蒡や鳥肉などを自ら調理した手料理であり、決してレトルトではないだろうからである。
 現代の家庭では、スーパーの惣菜やレトルト食品がそのまま食卓に上がることなど珍しくもないとはいえ、すでに祖父母の代が孫をもてなす際にそれが行われているという現実に、愕然としたのである。時代と感覚の推移は如何ともしがたいもので、いつの世にも「今どきの若者」に対する批判が起こることと同じなのだが、それでもこれが例外であって欲しいと思ってしまう。
 抱いた複雑な気分のなかに、自分自身の問題として、孫をもてなす楽しみを親に与えられず、自らも決して体験できないという現実に対しての侘びしさも色濃く漂っていることは、また別の話。

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

WTO [社会]

 世界貿易機関では中国や韓国が今でも「発展途上国」として優遇措置を受けているらしい。米国がこれを批判しているわけだが、面白いのは、台湾はすでにこの優遇を放棄していることだ。中国や韓国は台湾よりも、ある面において確実に格下であることを意味しているといえよう。台湾が持っているのこのような矜持が戦時中の日本との関係に対する評価にも如実に表れており、持つべき矜持もなく、傲慢で尊大な思考の行き着く先に責任転嫁を正当化するような国は、経済的に繁栄しようと低迷しようと、哀れで惨めなことこの上ない。
 途上なら、まだ救いはあるのだろうが。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

JとY [雑感]

 これまでのJ事務所の強権的な姿勢に某芸人が批判を口にしたことについて、その勇気を称えるようなコメントや評論を目にした。このような評価が主流なのかそうでもないのかは知らないし、どうでもいいが、事務所に今でも力があるとはいえカリスマ社長が亡くなってからで、しかも公正取引委員会からの注意があったという報道を受けての発言だから、さほど勇気を伴うものではなかろう。むしろ、この流れでの今さらながらの批判は死屍に鞭打つ感じで、情けない気がしないでもない。
 もちろん最も情けないのは、事務所からの圧力か自発的な配慮かは知らないが、かつて逮捕されたこの事務所所属のタレントを例外的に容疑者と呼称せずに報道していたテレビ局である。所属タレントへの同性愛行為の告発がいくつもあって裁判で認定されているにも関わらず、まるでそんなことはなかったかのように故社長を偉大な経営者だったと崇め奉ってもいるようなテレビ局に対し、出演しながら敢然と批判したなら、文句なく勇気を讃えたい。
 と、ここにきて、この某芸人が所属する事務所Yの闇が浮かび上がってきた。基本的には芸人に対してはその芸にしか興味ないが、今後どのようなコメントができるのか、少し興味が湧いている。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

知識と信奉と解脱 [雑感]

 民主党政権の末期頃、「マスコミは不当に民主党ばかりを叩いている!」と憤慨するブログ記事を書いていた某大学教授がいた。叩かれるべきものが叩かれているだけのことで、しかもそれは与党の時の自民党への批判に比べれば馴れ合いにしか見えない程度のものだったが、それでも民主党支持者らしきこの人は、マスコミが自民党に操られているかのように論じ、憤っていた。
 政権交代に大きく興奮し、夢を見ていた一人なのだろう。政治が専門ではないとはいえ仮にも知識人に分類される人が、あの政権交代に喜び、末期になってもまだ醒めていなかったのだとすれば、まったく呆れかえるばかりで、ブログ記事の中心となっている専門分野に対する信頼性も薄れてしまう。その専門分野についての関心からこの人のブログを覗いていたのだが(覗いていた理由は他にもあるが省略)、すっかり興ざめてしまった。
 先日、久しぶりにその人のSNSを覗いてみた。以前と同じで政治に関する発言が中心ではないのだが、つい最近の記事に、自公政権に大きな不満はない、と書かれている。何があったのかは知らないが、全体の文章そのものにも、かつて見られた不快な攻撃性は薄まり、かつては見下すように評論していた他の研究者についての見解も穏やかになっている。
 自公政権に不満を持たないという現在のこの人が、あのときの民主党政権を、そして自民党に操られていると勘繰っていたマスコミを、そして今でも一部から主張される「自民党がメディアを支配している」「自民党の圧力でメディアが萎縮している」といった声をどのように評価しているのか、聞いてみたいものである。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

まっぴら御免 [社会]

 某国に対する戦略物資の輸出規制に関して、相変わらず某国側に立っての反撥や恣意的な解説による報道がなされたりしているが、ネットでは大臣の発信等により経緯や状況が明らかになりつつある。すなわち報復や喧嘩といったものではなく、必然的な安全保障の問題であり、やむを得ない措置といえよう。
 さて、理不尽な報復だと受け取るしか手のない某国側の、いつもの上からというか斜め上から、もしくは意味不明な角度からの反論について紹介している記事や映像がネットに出回っており、youtube でそんな解説動画をひとつ見てみた。すると解説している男性の声のうち、半分ほどは某国の反応に対する耳障りなほどの嘲笑であった。
 が、嗤えない。
 たとえ意味不明で滑稽な逆ギレだとしても、その反撥は日本に向けられているのであり、現在もそして将来も両者がまったく無関係に存在できるわけでない限り、嗤っているだけでは済まないからである。すでに、反日という名の歪な愛国心によって、神社に火をつけられたり仏像が盗まれたり破壊されたり、その他諸々の被害が発生し、しかも現在進行形である。それが加速するかと思うと、まったくもって嗤えないのだ。
 しかも今年は大嘗祭がある。平成の大嘗祭のときは天皇制打倒を旨とする過激派の手によって、直接的には関係のない神社が放火されたりしている。大嘗宮とか皇室ゆかりの神宮などは警備がしっかりしているから手は出せないが、ほとんど無関係の小社であっても、攻撃することにより代償行為として溜飲を下げられるのであろう。
 もし何かあった場合、今回の措置を子供じみた報復だとすり替えて批判している連中は、ここぞとばかりに政府を批判するであろうことは目に見えている。普段は皇室を軽く見ているか、むしろ敵視しているような連中であっても、あたかも皇室の信奉者であるかのように、皇室に迷惑をかけたとして政府を断罪するだろう。
 たとえ何の被害もなかったとしても、正当な理由なしに恨まれ罵られるのは、今までと同様、真っ平御免である。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

憂愁の夏越大祓 [雑感]

 少し離れた土地の某著名大社に、夏越大祓ということで今年も参拝した。
 例年、なぜかこの日の外出時には妙なことが起こる。昨年はここに書いたように、儀式を参観しながらも不穏な言葉を吐き続ける哀れな男との接近があった。今年も何かあるのかと思いながら神社に向かう。
 境内には天候が悪くても大勢の参拝者がいて、相も変わらず、広い拝殿の横に広がることもなく中央部だけに列をなして並んでいる。正面で参拝したいという心情はわかるとはいえ、何のため拝殿も賽銭箱も横幅を取っていると思っているのだろう。こういう時には神社側からもたびたび、中央だけでなく横に広がって御参拝くださいと注意がなされるのだが、まだ中央に並ぶものだと思い込んでいるか、どうしても真正面にて神様と向き合いたいと思っている人が多いようだ。今年は雨の心配もあり、脇から早めに参拝を済ませ、茅輪守りを頂いて儀式は参観せず、そして茅輪くぐりはいつも長蛇の列になっているので例年通りスルーし、帰途についた。
 今年は珍しく何もなかったなあと思っていたら、神社から最寄りの駅に向かう途中で上記の男と一年ぶりに遭遇した。相変わらず哀しげに固定された表情で、何やら文句がましい言葉を吐きながら歩いている。おそらく神社へと向かっているのだろうが、参拝する意志と悪態を吐き続ける病んだ精神との共存は続いているらしい。
 本屋で買い物をし、電車を乗り換える。しかし乗った途端、自宅最寄り駅構内で人身事故が発生したとのアナウンスが流れる。救出作業、やがて警察による現場検証が行われているという報告があり、40分ほど待機したのちようやく発車した。
 神社参拝の際にはたいていの場合、持っていればその神社の御守りを携帯し、新たに神威を充足させたつもりにしているので、御守りが二つ、そして頂いたばかりの茅輪守りが鞄に入っている。死や流血を避ける意識の強い神社の御守りとともに、悲惨だったかもしれない事故直後の現場に足を踏み入れなければならないのは、御守りや自身にとって果たして良いことか、それとも悪いことか。偶発的な事故か意図的な事件かも知らないが、いずれにしても暗澹たる気分で目的の駅に着く。構内は見たところいつもと変わりなかった。ただ、検索してみると、件の「救出」作業の間は現場周囲や電車の窓がブルーシートで覆われ、やはり悲惨な状況だったと思わせる。それ以上の詳細を知ろうとするつもりはない。
 例年、この外出時に妙なことが起こるのは、神社との相性の問題だろうか。思い当たる節はないでもないが、参拝を止めるつもりは今のところない。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

妄想。 [雑感]

 以前、近所の路上において、特定のマンホールだけにペットボトルで水らしき液体をかけ続けているおばさんがいることを書いた。
 最近はそのマンホールが濡れていることを目にすることがなくなった。何らかの事情によって謎の行為は中止となっているらしい。
 さて、そのマンホールがある道路は、某公共施設の敷地に沿っており、200メートルほど真っ直ぐに見通すことができる。そのうち施設自体の塀が150メートルほど延びているのだが、最近、敷地内と塀が整備され、古いコンクリートの塀が一時的なものか簡素なものに変わり、狭い道路がやや広くなってすっきりしている。
 ところが、その塀の起点となる十字路近くにある件のマンホール前の一角だけ、古い塀がそのまま残されている。裏(すなわち敷地内)から簡易な補強がされているとはいえ、今にも倒れそうに傾いでおり、なぜこの部分だけ放置されているのか、さっぱりわからない。
 ある日、ふと気がついた。水で清められていたらしいマンホールと、憚りがあるかのように手つかずのまま放置されている古い塀。マンホールの件だけならおばさんの奇妙な行為に過ぎないのかもしれないが、隣接する塀まで敷地の管理者によって禁忌らしき特殊な扱いをされているのだとしたら、この一角に何かしらの曰く因縁が秘められているのではなかろうか。そんな妄想が沸き起こりつつも、いつも歩いている場所だから、もし本当に何かがあったことがわかれば気持ち悪いので、詳しく調べるつもりはない。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

研究心と愛国心 [雑感]

 韓国で一部の歴史研究者が徴用工像設置に反対する活動を行っているらしい。彼らの行動の根拠は、戦時中の労働者の大半は強制的に日本へと連行されたのではなく、給与も貰っていて奴隷のような存在でもない、というもので、したがって韓国内で歴史歪曲が行われているゆえのことだからというものである。
 しかし残念ながら、かの国の世間的には、ほぼ無視され、あるいは売国奴だと罵倒されているような有様だという。なので認識の正常化を期待することは難しいのだが、ごく一部でもそのような研究者があちらにもいることは知っておいて良いことであろう。
 ただ、気になった点がふたつある。
 ひとつは上記の FNN PRIME ONLINE の記事、題目中に「ソウルの中心で親日を叫ぶ」とあることだ。親日とは何のことだろうか。彼らが親日か反日か、あるいはどちらでもないのかは知らないが、歴史的事実はこうだから徴用工像設置に反対する、という主張は、方向性はどうあれ事実を土台としている限り研究者として正しい態度である。研究において真実を探り主張することに、本来、親も反もない筈で、結果的に日本側を擁護することになるからといってそれを親日と表現するのは、研究者としての彼らの姿勢を愚弄するものになりかねない。
 そしてもうひとつ気になったのは、同様の研究態度で慰安婦問題を探ってみたらどうだろうかという点である。そういったことがこのような研究者の中で行われているのか、それとも行われていないのか。少なくとも日本国内において、この問題に関しての従来のフェイクはかなり覆されているだけに、何とかなりそうな気もするのだが。
 もはやかの国では信仰の域に達している感のある反日感情に、客観的な検証や史料は届くや否や。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

レッテル貼りとマウント取り [雑感]

 子供を最低三人くらい産むようにお願いして貰いたい、という元大臣の発言を問題視する人たちがいる。まるで、新しい元号の発表を受けて「元号制度の強制に反対する」と声を挙げていた連中のようだ。
 後者は元号の背景にある皇室の存在に対する思想的政治的な反撥から、強制でもないものを、あるいは多少の強制力があったところで何の支障もないものを、殊更に否定している。そして前者も、ある反撥から、強制ではないものを強制だと見なして文句をつけているわけである。
 あるいは出産に関わることはデリカシーの問題だともいうが、喜ばしいことを期待することさえ憚れるというのであれば、もはや慶事のお祝いすら躊躇われる。少子化対策担当大臣も十年以上設置されていて、なんとか少子化を食い止めようとしているというのに、子供がたくさん産まれることを期待してはいけないらしい。
 この元大臣に対する妙な連中による反撥というのは、意図的もしくは無意識のうちに、「失言する政治家」というレッテルを貼っていることによると思われる。
 かつて麻生元総理に漢字の読み書き間違いが話題となったとき、間違いではないことすら殊更に指摘され、嘲笑が増幅されていた。「お心づかい」を「お心ずかい」と書いたことなど、麻生氏の世代ではそのように表記するような教育があったことを知らないマスゴミ人が無知をさらけ出して叩いていた。また福田元総理が五輪選手に「精々頑張って」と言ったことが問題視されていたが、これも「せいぜい」は本来、力の限りを尽くすという意味であり、嫌味な使い方しか知らない無知な人間が、自身の狭い知識を絶対視して批判していただけである。
 元号にしても出産にしても、強制でもないものを強制だと批判するのは、自身を被害者に見立てて、加害者に対する有無をいわせぬ糾弾をなし、逆に「マウントを取る」ことをしているのであろう。まるで、勇猛である筈の軍人が監視飛行中の自衛隊機から「威嚇されて恐怖を感じた」と恥も外聞もなく弱者を演じ、火器管制レーダーを照射する自らの行為の正当性を主張するようなものだ。
 まったく身悶えするほど恥ずかしく、かつ、おぞましくも不愉快な話である。

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。