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神威の発現 [皇室]

 即位礼正殿の儀が行われた本日、東京は朝から強い雨だった。『日本書紀』で草薙剣が尾から出ることになる八岐大蛇について、この大蛇の上には常に雲があるゆえに本名を天叢雲剣というのかと記されているために、朝からの雨は天叢雲剣の力によるのだろうといったツイートが多かった。この特別な日に、神器のひとつである神剣が、しかも草薙剣ではなく天叢雲剣の名でトレンドになっているという奇妙な光景である。ただ、熱田神宮の草薙神剣と皇居の神剣を混同したつぶやきが多かったのは、確かな知識ではなく、ゲームやアニメからの影響だろう。
 そして儀式が始まるあたりから雨が止み、都内各地で陽も差して虹が出ている、ということが話題になった。すると今度は天照大神の力によるのかといったツイートが増えた。確かに都内のわが自宅からも、儀式の少し前から陽が差してきて、儀式が終わると隠れ、再び薄暗くなったことを確認している。もちろん偶然といえば偶然だが、特別な日のごく限られた時間にこのようなことが起こるのは、神威の発現といったものではなかろうかと思いたい。

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皇位継承の行く末 [皇室]

 天皇や皇族の存在は、いわゆる平等という概念を越えての存在である。ゆえに、皇位継承の仕方に平等の理念から女性天皇や女系天皇を認めるべきとする理屈は成り立たない。
 このブログには何度も書いているように、過去に女性天皇が八人も立ったからには、私は女性天皇の可能性は認めるべきだと考えている。しかしその即位はあくまでも緊急避難的な措置であって、女系天皇の誕生は避けられてきている。つまり男系の天皇こそが天皇だと見なされているわけである。継承の仕方というものは伝統的な信仰や見解に基づくべきで、それが蔑ろにされては、天皇という存在そのものの否定となってしまうだろう。
 したがって女性の即位が認められたとしても、自動的に愛子内親王殿下が次期の天皇となることを意味するような規律にしてはならないと考える。
 
 天皇の子が皇位を継ぐのが自然だから、そうなるべきだ、という声もあるようだが、理屈以前の思い込みや感情論に過ぎないものと言ってよい。
 第25代の武烈天皇の後を継いだのは、祖父の祖父の弟の孫の孫にあたる継体天皇で、両者の関係は十親等である。ただしこれは古代で史料も不確かなものだから、あまり意味はないかもしれない。
 しかし時代は下がって比較的に記録の確かな第48代の称徳天皇の場合、祖父の祖父の兄の孫が次の皇位を継いだ光仁天皇で、八親等の間柄となる。
 またさらに下り、第118代の後桃園天皇の後、曾祖父の弟の孫が継いで光格天皇となった。七親等である。
 もし仮に皇位が昭和天皇の血筋から三笠宮殿下の血筋に移っていたとしても、長い皇室の歴史の上ではそんなに珍しいことではない。男系の血筋である限り、それは何も問題のない皇位の継承なのである。

 ただ、現実問題としては、選択肢がごく限られていることが課題となる。現時点で皇位継承の資格をお持ちなのは秋篠宮・悠仁親王・常陸宮の三殿下のみで、しかも血統の持続可能性という点ではもはや悠仁親王しかいない。これを解決するには、旧皇族男系男子の皇族復帰を検討するしかないだろう。
 敗戦直後の皇族縮小はGHQという外国勢力による圧力が原因であることは明らかで、通常の臣籍降下とは異なっている。占領状態における外圧という特殊で異常な措置は修復されるべきであり、もちろん当事者の意思を尊重した上で皇族復帰をはかれば良い。もし復帰が可能となったときには、当面の間は諸々の配慮により、悠仁親王に男系血統の継承が不可能となった場合にのみ皇位が継承されるという立場であることがいいのかもしれないが。
 元皇族の家系に若い男系男子は幾人かいるそうだから、内親王や女王の方々がその人たちと結婚し、さらに宮家を創設することが認められたなら、とりあえず男系の血統は維持することができる。しかし皇統のための婚姻という策略は現実的ではなく、やはり皇族復帰の検討が最優先ではなかろうか。

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神人転倒 [皇室]

 主旨がややぼやけてしまったので、書き改める。元日本テレビディレクターで現上智大学教授の水島宏明という人が書いた記事について。
 NHKが天照大神は皇室の祖先と断定する表現をしたことについて、このような説明は「オカルトである」といい、単に丁寧さを欠いただけなのかは「相当に疑わしい」と批判している。
 しかし、当の水島氏の文章中に、「 神話の世界の人を実在の人物であるかのように伝えるのは~」とあって、神と表現すべきところを「人」「人物」と、実際に記紀神話等に記載されている表現とは異なった言葉にわざわざ言い換えているのはなぜか。皇室の祖を神とすることをオカルトと呼ぶくらいだから、おそらくこの人は皇室の祖先神を神とは呼びたくないために、人という表現に変えているのであろう。単に丁寧さを欠いただけの記述なのかは相当に疑わしい。記紀神話中の神々は実は人なのだと見なす解釈はないでもないが、あくまでもひとつの解釈であり、文献を自分勝手に読み替える前に、その理由を明示しておかなければ客観性に欠けるというものだろう。NHKもそれを批判する水島という人も、結局はどっちもどっちなのである。

 さて、剣璽等承継の儀が行われたことに関連して、三種の神器についての解説等を目にすることが多くなった。そのなかで、皇室に伝わる八咫鏡と草薙剣を伊勢と熱田の御神体となっている神器の「カタシロ」である、とする説明が目立っている。カタシロとは、祭祀において神の代わりに祀られるもの、また単に代用品という意味ともなる。つまり皇室の鏡と剣は、本来の神器の代わりということなのだろう。
 しかし、伊勢と熱田の神器に限らず、神社等に祀られている御神体そのものが、すでに神の代用品なのである。神は見ることも触ることもできないから、それが宿るとされる物を代わりに置いて、祭祀が営まれる。あくまでも神が本体で、そのカタシロが神社の御神体や神器という関係となる。
 皇室の鏡と剣を伊勢と熱田の神器のカタシロと呼ぶことは、伊勢と熱田の神器が本体であるとする考えであり、そこに本当の本体である神は無視されていることを意味する。このような神の不在、神の無視といった見方は、神話や神社や祭祀を表面的にしか見ていないことを示しているように思える。
 少し前に秋篠宮殿下が、経費削減のため大嘗祭を常設の宮殿で行うべきではないかと発言して話題となった。祭祀というものは、表面的にはそれを執り行う人が主体となるが、本当の主はもちろん神である。しかるべき作法に則って丁重におもてなしをして和ませるべき神は、残念ながら、このような発言のなかのどこにも見当たらない。

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原武史の言説 [皇室]

 神の実在を信じるとか、その神に願いを訴えかけたり感謝を捧げるといったことはもちろん、あくまでも信仰の問題で、極端に反社会的な思想や行為でない限りはたとえ科学的合理的な精神に反していようと、他人から批判される筋合いはない。
 にもかかわらず、出血は神の嫌がることだとする考え方に対しては、なぜか性差別の問題や科学的合理的な見地から「そんな迷信に従うべきではない」といった論調が起こったりする。
 信仰の異なる者の間で見解がぶつかることはある。一方が自分たちの理屈に基づいてもう一方の見解を否定するような独善的な態度は、原理主義的傾向の強い集団に限らず今でもよく見られることのようだ。例えば清めの塩について、ある神道研究者がカトリックの指導的立場の人物に理由を説明したところ、「それはいけませんね」と否定的反応が返ってきたという。また浄土真宗で清めの塩を迷信だと否定することはよく知られているが、それを「迷信」と説明すること自体が他の世界観や信仰への断罪を意味している。
 イエスは神の一人子で救世主であるとか、念仏を唱えれば救われるといったことは、それを信じている者にとっては迷信ではないことと同じように、清めの塩も赤不浄も、そういった世界観の中に生きている人間にとっては迷信ではない筈である。
 ただ、より問題なのは最初に提示したように、信仰上の見解の相違ではなく、科学的合理的な見解もしくは何かしらの思惑から特定の考えを迷信として葬ろうとする論調であろう。
 最近では日本政治思想史の原武史氏が、「『血の穢れ』の問題」が皇室にあり、「そこにメスを入れようとしない限り、女性天皇や女系天皇に関する議論は足元がおぼつかないままだ」(NEWSポストセブン)と言っている。メスを入れるという表現から、赤不浄の考えを撤廃すべきと考えているのは明らかだが、この禁忌の存在によって「絶対的な『男女の差異』を認めてしまっている」と説明していることからも、信仰や伝統の問題には目もくれず、ただ男女平等という近代的価値観によって皇室祭祀や皇位継承の問題を考えようとしていることがわかる。
 性差別はよくない、といえば今や誰でも賛成することだろう。しかし根底にあるのはそのような差別なのではない。そもそも出血を穢れとするのは、それが死への過程であり、死を連想させるからである。血そのものが穢らわしいわけでもなければ、月経のある女性が穢らわしいわけでもない。また神社を参拝する際には手水舎で手と口を浄めるのが慣わしだが、「祓い浄めを求めるのは参拝者を穢れた存在とする差別だ。手水舎を撤廃せよ」と主張する者がいるなら、神社側としては、どうぞお引き取り下さいと言うしかないだろう。
 この原という研究者は、明治時代末の宮中に仕えた山川三千子の『女官』(講談社学術文庫、2016年)に、「宮中の『闇』をあぶり出す」という題目の解説を載せている。これは本書を読んでみればわかることだが、こんな強烈な表現が用いられるような陰鬱な話の本ではない。今から百年ほど昔の明治大正期の特殊な世界ゆえに、多少は窮屈に縛り付けられている物悲しさはあるが、現代の民間でも、学校や会社など人が集まるところではどこにでも見られるような人間関係の問題が浮かび上がるだけで、むしろ明治天皇の人間らしい言動が知られる、そういう意味で興味深い本である。
 闇をあぶり出すという表現ひとつを取っても、この研究者が皇室に対していかにバイアスのかかった見方をしているのかがよくわかる。

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記事の訂正と追記 [皇室]

 前回の記事に誤りがあったので訂正し、若干の追記をする。なお、その誤りの箇所はすでに書き替えたので、訂正前の箇所をまずは復元して示しておくと、剣璽等承継の儀について「まさに先帝崩御の直後、前回の場合は崩御の二時間後に行われている」という指摘についてである。
 正しくは、崩御の二時間後に今上天皇は承継の儀式のために東宮御所を出発されている、ということになる。細かく書くなら、昭和六十四年一月七日の早朝六時三十三分に昭和天皇が崩御し、七時四十二分に今上天皇は東宮御所に戻られ、八時四十四分に同御所を出発、そして宮中正殿で剣璽等承継の儀が行われたのは十時一分である。
 つまりこの儀式が行われたのは先帝の崩御から三時間半後というのが正しいわけだが、それでもやはり「崩御の直後」と言って間違いはなく、そんな慌ただしい中での儀式における女性皇族の不参列を「排除」と表現する朝日新聞の社説は不適切であろう。もとより現皇室典範では皇位を継承できるのは男子皇族のみとされ、すなわち女性皇族に神器を承継する可能性はない。
 大正天皇が崩御したのは葉山御用邸の附属邸にて静養されていたときだった。お見舞いのため滞在されていた昭和天皇に承継の儀式(当時は「剣璽渡御の儀」という)が執り行われたのだが、当時の侍従によれば「手狭で何の準備もできていない」附属邸であっても、やはり崩御の直後に行われている。このことからも神器承継の儀式の意味や性格を知ることができるはずである。

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神器承継と皇室典範 [皇室]

 今月16日の朝日新聞デジタルの社説に、天皇の即位儀礼について何やら書かれているというので読んでみた。相変わらずの論調でうんざりさせられるが、気になった点を挙げてみる。
 ひとつは、戦後初となった平成の即位儀礼において神器の剣と曲玉を継承する儀式が国事行為として行われたことを、「神話に由来し宗教的色彩の濃い剣璽承継が、なぜ国事行為なのか」と疑問視している点である。言葉としては用いていないが政教分離の観点から、宗教性を問題としたいのだろう。しかし、そもそも天皇の存在が神話や宗教に基づいていることには触れていない。神話の世界観を離れて合理的に見るならば、神器に宗教性の本質があるのではなく、天皇が神話や信仰に基づいているゆえに、継承されている神器が神聖視されているのである。すなわち神器への疑問視は天皇の存在への疑問視に直結するもので、おそらくはその点をも言外に含ませているかと思われる。
 次に、この神器継承の儀式に女性皇族が参列していないことを「排除された」と表現し、先帝崩御の直後だから出席を求めなかったとする政府の答弁について「どれだけの人が納得するか。政府は時代にふさわしい姿を再検討し、考えを国民に丁寧に説明しなければならない」という。
 この儀式(剣璽等承継の儀)は皇位と神器の一体性を示すもので、まさに先帝崩御の直後、前回の場合は崩御の二時間後には儀式のための動きが見られている。周到な準備の下ではなく、哀しみの中を慌ただしく行われるのであり、身だしなみなど特に気を使わなければならない女性皇族の参加を見送ることのどこが「排除」で、誰が納得しないというのだろう。
 そして次に、「懸念すべきは、旧憲法を懐かしみ、天皇を神格化する空気が自民党内に根強くあることだ」という。天皇を神格化する「空気」とは何かというと、この社説の執筆者が挙げているのは次のようなことである。少し長くなるが引用してみる。

「最近も、天皇や皇太子の成年年齢を18歳と定める皇室典範の扱いが議論になった。天皇が未成年の場合に備え、摂政が公務を代行する期間を短くするための特例だが、18歳から成人とする民法改正案が成立すれば、この規定は不要になる。しかし保守派議員らの反発を踏まえ、典範改正は見送られそうだ。存廃どちらでも人びとの生活に影響はない。問題は、意味を失った規定を整理するという合理的な考えが退けられ、典範に手をつけるのは冒涜・不敬だとする言動がまかり通ることだ。戦前に重なる風景で、国民主権のもとに象徴天皇制があるという基本認識を欠く。危うい空気が漂うなかで進む代替わりに対し、憲法の原則や理念からの逸脱がないよう、目を凝らし続ける必要がある」

 一読して成年年齢についての規定と「神格化」とやらにいったい何の関係があるのか分かりづらいが、成人年齢の話については、皇室典範ではもともと天皇や皇太子は18歳で成年と定められ、一方で一般人の成人年齢を18歳に引き下げる改正案が提出される運びとなっている。この改正案に連動し、皇室典範の件の規定を不要として改正してはどうかという声が挙がったが見送られた、ということだ。
 この皇室典範改正の見送りを、典範への「冒涜・不敬だとする言動がまかり通」ったからとし、「戦前に重なる風景」であり、国民主権という「基本認識を欠」くもので、「危うい空気が漂」っている、というのである。
 しかし昭和二十二年に制定された現皇室典範は、三種神器についての規定がない。旧皇室典範にはあったのだが、現在は皇室の神聖性や宗教性が抑えられたものとなっており、「旧憲法を懐かしみ、天皇を神格化する」ような人間がたとえいたとしても、そんな人が神聖にして侵すべからずと崇めるような代物ではないはずだ。皇室典範という特別な法律が存在しているからには、それが神聖かどうかということではなく、民法改正に引き摺られて簡単に手が加えられるべきではないのであって、簡単に改正されることになればそれこそ危険ではなかろうか。そもそも本題は民法の改正で、皇室典範についてはあってもなくても構わない規定に過ぎないのである。
 改正が見送られたことに感じる「空気」を社説執筆者はたいそう危険視しているが、まさに空気を相手に戦っている滑稽な姿が浮かんでしまう。
 なお、以前にもここに書いたように、女性天皇を認めない現皇室典範は改正すべきだと個人的には考えている。と同時に三種神器は剣璽等承継の儀からも理解されるように、皇位と一体化しているものであることを根拠として、皇室典範に再び明記するよう改正すべきだと考える。かの社説執筆者はこのような意見を「合理的な考え」と見なして賛同してくれるだろうか。

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女性宮家創設は天皇の消失を意味する [皇室]

 このままでは皇室存続の危機が訪れそうだ。もし女系天皇が誕生してしまったら、それはもはや「天皇」ではない。天皇に即位するのは皇族の血を引いていることだけではなく、男系の継承者であることも、初代から数えて125代続いてきた伝統だからである。
 女系天皇を容認する人は、「現実的に見てこのままでは皇統が絶えてしまうから仕方ない」という。だが、それは違う。
 伝統を重視する社会では、どう対処すればいいのか判断が困難な状況において、前例があるか無いかで選択肢の優先順位を決定するものだ。
 女系天皇は前例がない。しかし、いったん皇族から離れた人物をまた皇族に復帰させる前例はある。平安初期の宇多天皇は臣籍に下っていたのを親王に復帰して天皇に即位している。つまり戦後になって皇族を離れた人たちを復帰させることが、皇統存続の危機に際して取るべき第一の手段となりうる。女系天皇の出現を促す女性宮家の創設などはまさに最後の手段であるべきだろう。
 さらに言うなら、果たして本当に「皇統存続の危機」という現状だろうか。
 次世代には皇太子と秋篠宮殿下が、そしてその次の代には悠仁親王がいらっしゃる。皇統はしばらく安泰なのである。もし悠仁親王に親王がお生まれにならなかったら、その時に最後の手段として女系天皇の容認を判断しても遅くはない。もちろんそれを想定して、事前に皇室を離れる内親王たちに復帰の可能性を含んでおくか、準皇族の地位を与えるような準備は必要だろう。
 男女平等などという理屈を皇位継承に持ち込んでくるのは、まったくの筋違いである。もしそんな理屈が通用するなら、平等の名の下に皇室の存在そのものが否定されてしまう。天皇・皇室の存在は、まさに伝統と文化の問題であって、その価値との優劣を争うのならば、もはや別問題である。
 いずれにしても、皇室の伝統の破壊とも言うべき女性宮家の創設など、軽々に決定を下してはならない。他に取るべき手段と時間はまだ残っているのである。
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災害予知と皇室の動向 [皇室]

 民主党およびその支持者たちによる軽はずみな陰謀論の吹聴から思い起こしたことをひとつ。
 ずいぶんと以前から東京に大地震等の災害が予言されたりするたびに、皇室一家の動向が注目され、天皇陛下を始めとする皇族が東京を離れたからどうやら本当に何か起こるらしい、とか考える人たちがいる。
 もちろんそういった判断が正しかったためしはない。皇族の方々が公務のため地方に向かわれることは珍しくないのだから、災害を避けるために離京したのだと見なす根拠は甚だしく乏しい。
 しかも国家国民の安寧を祈ることを第一とする陛下が都民を見捨てて避難することなど、皇室を斜めから見ることしかできない人には理解不能だろうけれども、さらに有り得ないことだ。それでも皇族の動向に関して、怪しげな予言や予知が話題となるたび、言及され続けている。
 裏を読み解いた気になって、得意げになっているのだろう。外れても同様の状況になれば、また同じことを繰り返す。陰謀論は、人々の矮小な自己満足に支えられ、再生産されていくのである。
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天皇誕生日 [皇室]

 昭和天皇が崩御し、学校等が臨時に休校になったときのことだ。
 一部のおそらく左巻きの父兄が「人が一人亡くなっただけで学校を休みにするのはおかしい」という理由で、子供たちを無理に学校に向かわせ、教室で自習させたという報道があった。
 憲法で国の象徴と規定されている特別な立場の人間なのだから一般人とは違う、ということは理解したくないらしい。護憲派ではなく改正論者なのだな。
 まあそれはともかく、教師が授業するわけでもないのに子供という他者をわざわざ教室に出向かせ自習させるというのは、まったく嫌がらせにも似た政治的活動で醜いなあと思った。そしてさらに、ああいう人たちはそれまで天皇誕生日という休日をどう過ごしていたのかと疑問に思う。
 同じように子供たちを教師のいない学校に向かわせたり、働いている人は休日出勤をしたりしていたのだろうか。そんな話は聞いたことがないのだけれども、今日という天皇誕生日を、ああいった類の人たちはイブイブだと言い換えて過ごしているんだろうか。もちろんそれはそれでものすごく滑稽なのだが。
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昭和天皇と靖國問題 [皇室]

 いわゆるA級戦犯を靖國神社に合祀したことを昭和天皇が不快に思い、それ以来靖国参拝をしなくなったらしいということは、以前に松本健一氏がどこかに書いている。
 松本氏の記述が何に根拠を置いていたのかは今は解らないが、それにしても、それが現在また問題となっているというのは、どうしたわけだろう。
 下に書いた、「埼玉県共産党県議団が、いわゆる従軍慰安婦に関する政府公式見解と異なる発言を埼玉県知事がしたことを批判した」、という問題と同じで、政敵を倒すためならなんだって利用するという、実にみっともない状況がまたもや生まれつつある。
 もし靖國合祀に関する昭和天皇の不快が本当だとしたら、天皇の発言や意志に絶対的な権力と権威を認めている者のみ、この昭和天皇の見解を現在の靖國問題と結びつけて問題視するができる。そうでない者にとっては、何も意味のないことの筈だ。
 天皇を絶対的に信奉しているわけでもない人間がこのことを楯にとってA級戦犯靖國合祀を問題視するなら、まったく信用するに当たらない人間だと判断されるだけである。


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