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キイハンター [雑感]

 子供の頃に観たドラマの場面が、その後しばらく頭から離れずに困ったことがある。
 記憶の中では、ある女性が何かを調べるために洞窟のような薄暗いところに入り、そこで透明の筒状の容器に入っている生首を発見して驚く、というものだ。その生首役はジェリー藤尾で、後に別の番組でこの人が出演しているのを観るたび、ああ生首になって死んだ人だ、という思いばかりが沸いてくる。もちろんドラマが作り物であることは承知している。しかし感情の部分ではどうしても、死んだ人なのに気持ち悪い、と思ってしまうのだ。
 あのドラマはたしか「キイハンター」だったなと当たりを付け、検索してみた。すると同ドラマの133話に「私の首を返して頂だい」という回があり、ジェリー藤尾が演じる人物の首が切断されて生体実験を受けているという設定だった。おそらくこれで間違いない。女性が保管されている生首を発見するという展開のようで、記憶に合っている。ただし生首が保管されているのは病院であり、洞窟のような場所というのは記憶違いのようだ。
 某サイトの解説によれば、ドラマでは結局、首は胴体とつながって生き返ったという。いわれてみれば、首が切断されたのに生き返った気持ち悪い人、という印象だったかもしれない。それでも本放送なら五歳の時だから、一種のトラウマとなっても仕方ないだろう。機会があれば五十年ぶりにまた観てみたいものだ。

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新型コロナ動画 [雑感]

 報道ばかりでなく、YouTubeでも新型コロナウイルスに関連した動画で溢れている。そのなかには、いわゆるオカルト系、スピリチュアリズム系の動画も多い。少しだけ覗いてみたが、この事態に対してチャネラーが「神」から受けたメッセージとして、「人々がこの状況をいかに切り抜けるのか注目している」というものがあって思わず苦笑した。どんな事態にでも当てはまる台詞であり、つまりは何の意味もないからだ。こういうものをわざわざ動画にして発表する意味は、しかし、ないこともない。多少なりとも登録者を獲得していれば、とりあえずどんな動画でもある程度は閲覧され、つまりは公開者の懐が潤うことになる。動画作成者にとっては意味があるわけだ。
 話は変わるがチャネラーと言えば、かつて死後のビンラディンの霊と交信した際の霊言を載せているチャネラーのサイトを見たことがある。美しい言葉で、この世の矛盾を解消し人々を幸せにしたいという思いからの行動だったということが、切々と語られていた。これが掲載されたのはビンラディンの殺害もしくは病気による死亡が報道された数日後であった。ただ残念ながら、このときの死亡は誤報で、実際に殺されるのは数年後のことである。
 本物はあのとき確かに死んでいて、生きているとされているのは影武者であるといった弁解をその人が行ったかどうかは知らない。今でもチャネリングとやらをしているのかも、もはや知るよしもない。

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事実基盤思考 [雑感]

 「酔っていて覚えていないと容疑を否認」という表現は非論理的だと以前に書いたことがある。
 記憶にないのなら、容疑を認めることは不可能だ。したがって認めないが、同様に否認することも不可能である。だからこの場合は単に、酔っていて覚えていないと供述している、としか言いようがない。記憶が本当にないかどうかは、他人には知るよしもないことである。
 テレ東の社員が酔って傷害事件を起こし、覚えていないと供述しているというネット記事のコメントに、「酔っていたから、などというのが免罪符になると思っているのでしょうか?」というものがあった。
 この共同通信の記事は上記の観点からすれば論理的だが、コメントは非論理的である。覚えていないと答えることは、免罪符になるとかならないとかいう話とはまったく別物だ。覚えていないという状況は今の流行り言葉を使うならファクトであり(嘘をついているかどうかは別問題)、だから許してくれ、俺には罪はない、などとの弁解が報道されているわけではない。もちろんこの社員が心の内でどう思っているかは知らないが、それが表明されていない以上は批判の俎上に載せては駄目で、このコメントをはじめとした各方面における妄想による他者への批判は、まさにファクトに基づく思考の欠如をつくづくと感じさせる。

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地震とオカルト研究 [雑感]

 某オカルト研究家が最近のテレビに対してネットで憤慨していた。もし日本が大地震に襲われたら、というテーマの番組が多いことについてである。大地震が来るぞとマスコミが煽っているために「大地震が来る」という意識が人々に刷り込まれ、その意識が強くなることによって地震の発生を引き寄せるのだ、という理屈からである。まったくマスコミはどうしようもない、といった怒りであった。
 このテレビにもよく出ている某人は、オカルト現象を盲信するのではなく客観的に検証しているのだと自認している人のようだが、関東でも南海でも大地震の発生が危ぶまれているからこその番組作りだとは思わないのだろうか。東北の大地震の際でも、もっと対策や備えをしていればよかった、そんな意識が足らなかったという反省はいくらでも聞こえていた筈である。そしてまた現状においても、改善すべき点は社会においても個人においてもまだ多く残されて、そのことに無自覚な人は多く存在している。なのに警鐘を鳴らす番組は、日本を壊滅に向かわせる闇組織の陰謀なのだと決めつけているのである。
 どちらが闇組織かわかったものではないが、こんな人がオカルト業界では良識派のように見られていることが一番のオカルトである。

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さかもと畳店 [雑感]

 二年ほど前、坂本畳店なるところから勧誘電話があった。字は不明だがとりあえず坂本としておく。こちらの名を口にしないため、どちらにおかけですか?と聞いたところ、相手のおばさんは「間違ったところにかけてしまったようですね」とずれた返答をしてすぐに切ってしまった。検索すると、迷惑電話で知られている畳屋で、同名の店が間違えられて迷惑しているらしい。すると数日後、また同じ畳店から電話がかかってきた。おばさんだが人物は異なるようで、すぐに切られることがなかったため、迷惑電話で評判悪いよ?と詰ってみたが、そんなに悪びれるでもなかった。
 先日、また坂本畳店から電話が来た。同様にどちらにおかけですか?と聞いたら、おばさんは「間違ったところにかけてしまったようですね」とやはり同様の言い訳を口にし、嘘でしょう?というこちらの更なる問いかけが言い終わらないうちにすぐに切ってしまった。何年も変わらぬ対応を繰り返し、悪評は高まるばかりだろう。とても商売でやっているとは思えないのだが、何かの情報収集といった別の意図でもあるのだろうか。

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吾妻ひでお [雑感]

 自分にとってどんな作品でも喜んで受け入れられるという漫画家は、高橋留美子と吾妻ひでおの二氏だけかもしれない。その吾妻ひでおが亡くなった。
 SF不条理ギャグから入ったのだが、吾妻作品の属性として欠かせないエロやロリも勿論よい。基本的に多くのロリ漫画には嫌悪感を覚えるにもかかわらず、吾妻氏の描くロリにはほとんど嫌なものを感じないのである。おそらくそれは、その背景に不条理ギャグを思わせるシニカルなユーモアを嗅ぎ取ってしまうからではないかと思っている。『失踪日記』が悲惨ながら面白いのも、表面的に描かれた面白おかしさだけでなく、その背後に漂う吾妻氏独特のユーモアに由来すると思われる。
 近年の「萌え」や「かわいい」文化を生みだしたのは、当人がどう思っていようと、吾妻氏である。同類の表現者がいくらいたとしても、吾妻氏がいなければ、市民権を得るまでには至っていなかっただろう。BABYMETALが生まれたのも、そして彼女らが世界的に受け入れられたのも、もちろん卓越したボーカルや演奏は承知しているが、やはり根底には吾妻氏あってのことだと認識している。

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細縁亀虫 [雑感]

 先日、部屋のカーテンに虫がとまっていて、ああ蜂がいるな、と思った。エアコンの管と壁の隙間から、以前に何度か黒っぽい蜂が入って来たことがあったのである。甚だしいときは三日連続して入ってきた。またあるときには、数日間留守にして帰宅すると、三匹の蜂が部屋を飛び回っていたりもした。隙間を埋めるパテを巣の材料として狙ってくるのかと思ったが、真偽は不明。しかし隙間は数年前にしっかりと補修し、以来、蜂の侵入はなくなっている。
 件の蜂らしき虫はおとなしく動きが少ないため、透明のカップ内に捕獲し、観察してみた。すると蜂ではなく、羽根のない細い鈴虫といった感じに見える。さてこれは何という虫だろうかと疑問に思う。だが調べる手段はない、と諦めたものの、取りあえずネットで「虫」と「調べ方」で検索すると、昆虫エクスプローラというサイトが見つかった。その「見た目からさがす」の項で、色と大きさに該当する箇所をクリックし、表示される虫の写真の中に件の虫を発見。ホソヘリカメムシと判明した。調査の諦念と奮起から決着まで、ほんの数分である。改めてネットって便利だな(笑)と実感した。
 以前なら、謎の虫が部屋に現れた、という、ただそれだけのことだったものが、簡単に名前までわかるというのは、まったく驚くべきことだ。この虫の名前を知ることが今の自分に何かしらの意味があるわけではなく、簡単に忘却してしまうだろうし、そうなっても何の不都合もない。しかし役に立たなくとも、それができるシステムの存在が当たり前になっている現実に改めてすごいと思ったのである。
 以前に侵入してきた蜂については、スズメバチのような獰猛な顔と黒っぽい色という記憶を頼りにざっと調べてみても、残念ながら特定には到らない。基本的に昆虫にはほとんど興味がないので、これ以上は調べる気もないのだが、それでも条件さえ揃えば上記のように簡単に判明するから驚きなのである。無駄なように思えても、知識や手段の選択肢の幅が拡がることは、とりあえずは良いことだろう。

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アンパンチと暴力 [雑感]

 アンパンチの影響で子供が暴力的になったとかいう指摘は、すでにあちこちで言われているように、取るに足らない愚かしい指摘だろう。力の行使を一律に否定すべき暴力としか見ないような偏った思想から、その親が影響を受けているのかもしれない。あるいは、子供を教育する意識が親に希薄で、子供の思い違いを正すことをしないまま、ただ指を咥えてみているだけなのだろう。
 とはいえ以前にも書いたように、自身はアンパンマンというアニメを好きにはなれない。その理由はいくつか挙げているが、ついでながら、こちらもまったく取るに足らない指摘に過ぎないが、いくつか追加しておく。
 空腹となっている相手の好き嫌いを確認することなく、自分の顔をちぎって渡す。このような押しつけは断りづらい。顔をちぎってまでして渡されたものは、嫌でも受け取らざるを得ないではないか。相手がカレーパンマンのように甘い物が苦手だったら、とてつもない苦痛を与えることになる。相手のことを考えない善意の押しつけである。
 ばいきんまんに攻撃されている者を助けたとき、まだ戦いの最中なのに「大丈夫ですか~?」と心配を表明する。これが実に慇懃無礼な口調で、感謝を強要しているかのように見えてしまう。
 幼い子供が野外において「お腹が空いた」と泣いている、異様な世界。
 そしてこれは以前にも書いたが、割と本気で問題だと思うことがある。同じような悪に加担しているにも関わらず、ばいきんまんは懲罰を受けてもドキンちゃんは多くの場合、そそくさと場を離れるだけで許されるのである。初期の頃は二人ともにぶちのめされていたが、いつしかばいきんまんだけがやられ役になっている。女の子に暴力を振るってはいけないという教育的な配慮と思われるけれども、ならばアンパンチは単なる暴力行為ということになってしまわないか。そして女の子は男の子と違って、悪いことをしても大丈夫なのだという偏った価値観や倫理観を育むことになりはしないだろうか。割と、本気でそう思っている。

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お米の権威 [雑感]

 ずいぶんと前から、スーパーで買うお弁当の御飯が右側に詰められていることを不思議に思っていた。左右の判断は蓋に貼られているシールおよびおかずの配置から下している。御飯は左側という子供の時からの感覚からすれば違和感が半端なく落ち着かないので、弁当の左右を逆に、つまり御飯を左側にして食すも、右側御飯で中身が配置されているために引っかかりがある。しかしそれでも御飯を右にする不安定さよりもましとなる。
 ふと思い立って検索してみたら、右側御飯にするのはいくつかの理由があるらしい。面倒なのでここにその理由は書かない。だが根拠があったとしても、弁当ではなくお茶碗で御飯を食べる場合は左側に置くことが基本なのだから、腑に落ちない人も多いのではなかろうか。御飯はスーパーの弁当しか食べないという人にとってのみ、収まりのつく処置であろう。
 さて、本来の御飯を左側に置くという作法は、理由のひとつとして、左側が右よりも優位だからとも説明されている。お米は日本神話に天照大神から授けられたともされる尊い穀物なのである。だが単純に考えれば、大多数が利き手となる右手に箸を持った場合、主食となる御飯は左手に持つため、左側に置くというだけだろう。
 とはいえ、御飯、お米は尊いゆえに左側に置かれるという説明がなされるほどに大事な食べ物であることは確かであり、その意味では現代的な何かしらの根拠をもって簡単に右側へと格下げされ権威が軽んじられているように見えるのは、なんとなく物悲しさを感じてしまう。

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JとY [雑感]

 これまでのJ事務所の強権的な姿勢に某芸人が批判を口にしたことについて、その勇気を称えるようなコメントや評論を目にした。このような評価が主流なのかそうでもないのかは知らないし、どうでもいいが、事務所に今でも力があるとはいえカリスマ社長が亡くなってからで、しかも公正取引委員会からの注意があったという報道を受けての発言だから、さほど勇気を伴うものではなかろう。むしろ、この流れでの今さらながらの批判は死屍に鞭打つ感じで、情けない気がしないでもない。
 もちろん最も情けないのは、事務所からの圧力か自発的な配慮かは知らないが、かつて逮捕されたこの事務所所属のタレントを例外的に容疑者と呼称せずに報道していたテレビ局である。所属タレントへの同性愛行為の告発がいくつもあって裁判で認定されているにも関わらず、まるでそんなことはなかったかのように故社長を偉大な経営者だったと崇め奉ってもいるようなテレビ局に対し、出演しながら敢然と批判したなら、文句なく勇気を讃えたい。
 と、ここにきて、この某芸人が所属する事務所Yの闇が浮かび上がってきた。基本的には芸人に対してはその芸にしか興味ないが、今後どのようなコメントができるのか、少し興味が湧いている。

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