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お米の権威 [雑感]

 ずいぶんと前から、スーパーで買うお弁当の御飯が右側に詰められていることを不思議に思っていた。左右の判断は蓋に貼られているシールおよびおかずの配置から下している。御飯は左側という子供の時からの感覚からすれば違和感が半端なく落ち着かないので、弁当の左右を逆に、つまり御飯を左側にして食すも、右側御飯で中身が配置されているために引っかかりがある。しかしそれでも御飯を右にする不安定さよりもましとなる。
 ふと思い立って検索してみたら、右側御飯にするのはいくつかの理由があるらしい。面倒なのでここにその理由は書かない。だが根拠があったとしても、弁当ではなくお茶碗で御飯を食べる場合は左側に置くことが基本なのだから、腑に落ちない人も多いのではなかろうか。御飯はスーパーの弁当しか食べないという人にとってのみ、収まりのつく処置であろう。
 さて、本来の御飯を左側に置くという作法は、理由のひとつとして、左側が右よりも優位だからとも説明されている。お米は日本神話に天照大神から授けられたともされる尊い穀物なのである。だが単純に考えれば、大多数が利き手となる右手に箸を持った場合、主食となる御飯は左手に持つため、左側に置くというだけだろう。
 とはいえ、御飯、お米は尊いゆえに左側に置かれるという説明がなされるほどに大事な食べ物であることは確かであり、その意味では現代的な何かしらの根拠をもって簡単に右側へと格下げされ権威が軽んじられているように見えるのは、なんとなく物悲しさを感じてしまう。

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