環境と文明 [社会]
こんな自分のためだけの日記めいたブログを書き始めたのが、もう14年前になる。最初の記事が「アイドリングストップ」で、これを行うことによってエンジンへの負担は増える筈だから、本当に環境への配慮になっているのだろうか、という疑問を書いたものだ。
この疑問を今になって思い出したのは、環境問題に関する言動によって某子供が妙に話題になったからである。いろいろと思うところはあるが、ひとつだけ書くと、この子供が話題になり、援助したりする大人たちが増えるにつれ、資源の消費量も温室効果ガスの排出も増えていると思われることだ。取材や支援をしている人たちが車や飛行機に乗らず、自転車やヨットで移動しているというのであれば問題は少ないかも知れない。しかしそれでは満足な取材も支援もできないであろう。この子供が人寄せパンダとして環境問題へと人々の意識が向かうよう役に立てばいいのかもしれない。だが、そのような生活を多くの人が送ることによって失われる安全性や利便性、衛生面や効率性等と引き合うものか、甚だ疑わしい。そもそも、この子供の理想とする活動が周囲の援助なしではやって行けていない現実が、すべてを示している。
われわれがやるべきは現代文明の利器を捨て去ることではなく、乗り越えていくことにある。
この疑問を今になって思い出したのは、環境問題に関する言動によって某子供が妙に話題になったからである。いろいろと思うところはあるが、ひとつだけ書くと、この子供が話題になり、援助したりする大人たちが増えるにつれ、資源の消費量も温室効果ガスの排出も増えていると思われることだ。取材や支援をしている人たちが車や飛行機に乗らず、自転車やヨットで移動しているというのであれば問題は少ないかも知れない。しかしそれでは満足な取材も支援もできないであろう。この子供が人寄せパンダとして環境問題へと人々の意識が向かうよう役に立てばいいのかもしれない。だが、そのような生活を多くの人が送ることによって失われる安全性や利便性、衛生面や効率性等と引き合うものか、甚だ疑わしい。そもそも、この子供の理想とする活動が周囲の援助なしではやって行けていない現実が、すべてを示している。
われわれがやるべきは現代文明の利器を捨て去ることではなく、乗り越えていくことにある。
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