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ゆうパックの配達人 [雑感]

 昨年末、実家から荷物が送られてくることになった。その連絡を受けた次の日、下の階の部屋にゆうパックの配達が来たが、何やら住人と必要以上の言葉を交わし、そのまま帰って行ったように聞こえた。まさか、うちに来るはずのものが間違えて配達されようとしたのかなと思ったが、もはや確かめることはできない。その日、うちに配達はなかった。
 翌日、昼頃に電話が鳴る。郵便局からで、やはり、宛先の書き間違いにより先日は配達できなかったので、本日配達するという。
 ひとまずはここで疑問点を提示しておく。こちらの電話番号が記載されているから確認の電話があったわけだが、それならばどうして先日の段階で確認しなかったのだろうか。年末の慌ただしさの中で無理だったというなら、仕方ない。しかし、もうひとつ大きな疑問がある。
 荷物が届いた際に、配達人にまずは確認してみた。「昨日は下の階の部屋に届けようとしていましたよね?」。配達人は、そうだと答えた。そして、こういう住所はないはずなんだけどおそらくここじゃないかと思って来たんですけどねえ、という。住所だけでなく部屋番号も間違えていたから、書かれているとおり下の部屋に届けようとしたらしい。
 だが、ここに最大の疑問が生じることになる。
 配達人の言葉を受け、次のように言ってみた。「下の郵便受けにこちらの名前は書かれているはずですよ?」。下とは一階で、うちは二階である。一階の壁面に全部屋の郵便受けがあり、一階の部屋にそのまま向かうのなら、郵便受けの真横を確実に通ることになる。ふと斜め前を見ただけで、全部屋の住人の名前は確認できるのである。
 それがこの配達人、笑いながらこう答えた。「いやあ、名前までは確認しないから」。
 そして去って行った。一瞬「?」と思い、ドアを閉めて思わず呻いた。「いや、しろよ」。
 わざわざ遠回りをするとか、面倒な手続きをするとかいうことなどはまったく必要のない、ただ目線を動かすだけで、全住人の名前は確認できるのである。何十人何百人も住んでいるわけではない。たった五人だ。住所が不確実ながらもこちらのアパートに足を運んでいるのだから、名前が一致していたら本人だと判断してよいはずだ。なぜ、確認しない。
 冷蔵保存が望ましい食料も入っている荷物が一日遅れるのは、その間にどのような環境にあったのかはわからないが、決して良いことではない。配達員の判断に対する疑問はすぐに怒りへと変わり、郵便局に文句を入れようかと思うも、事の発端は住所を書き間違えたこちらの耄碌した身内という負い目もあるため、そこまではしなかった。
 ほんの数秒の確認作業をすれば、配達員は同じアパートに足を運ぶという二度手間をかけることもなく、こちら側も普通に荷物を受け取って気分を害することもなかっただろう。この配達員の理解しがたい所為は、「名前までは確認しない」と言い切ったあの態度からすれば、年末の忙しさによる判断ミスなどではない。まさか配達に際してそのような取り決めでもあるのだろうか。

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強蚊2 [雑感]

 十年以上前、このブログに蚊のことについて書いた。それは、かつては蚊取り線香をつけると蚊が落ちてくるから、それを摘まんで棄てていたのに、今ではそんなことが起こらない、と言うことだった。線香をつけると蚊はどこかへと姿を消し、煙が収まった頃に再び現れる。なので線香をつけるがまたいなくなる、といった鼬ごっこで、いつまでも蚊は死なないのである。
 数ヶ月前、のっぴきならない事情により、二十数年ぶりに実家に帰った。山に囲まれた何もない田舎である。その実家の居間にいたとき、蚊が二匹飛んできたので蚊取り線香をつけた。すると、やがて一匹が目の前のテーブルの上にふらふらと落ちてきた。こんな光景を見るのは久しぶりだった。しかもその数分後、二匹目の蚊が同様に、目の前で落下してきた。
 この田舎の蚊と東京の自室に現れる蚊の、蚊取り線香に対する反応がまったく違うことに驚いた。時代の問題ではなく、地域の差だったのだ。なんというか、田舎の蚊は煙の中も気にせず馬鹿正直に飛び回り、しかし薬剤にやられて敢えなく自滅する。対して都会の蚊は賢明にも、煙を避けるという対処法を身に付けているように見えるのである。
 とはいえ、蚊取り線香というものは煙そのものが蚊を弱らせるのではなく、線香に含まれる薬剤が広がることによって蚊に影響を与えるらしい。したがって煙が収まっても薬剤は部屋の全体に付着している筈だ。それでもこちらの蚊がヒット&アウェイを繰り返し存命するのは、薬への耐性が強くなっているということもあるのかもしれない。

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信頼できない発信4 [雑感]

 大手の出版社から、その筋では知られた研究者の編著として出版された一般向けの本における、執筆者A氏の記述に見られる不適切な点を前回と前々回とに挙げてみた。その他にもいつくかあるのだが、それらを論うのが本旨ではなかったのでもう止めておく。
 言いたかったのは「信頼できない発信1」に書いたように、大手メディアが知識や情報を発信する際に、より信頼性の高い専門家に任せるのではなく、使いやすいとか人気があるとかの理由によって専門家ではない人間に任せがちであるという問題点についてである。
 件の本は一般向けとは言え、知られた大学教授の編著で、執筆者の中にも大学講師やその分野の専門的な教育を受けた者が数名いる。しかしA氏もその分野に関連した学部を出ているが、院卒ではない。もちろん院卒でなくとも専門的な知識を有している人はたくさんいるだろう。だがこれまで指摘したような不適切な記事は、専門家ならまず書くことはないものといっていい。
 そんなA氏に項目の半数近くを担当させたのはなぜか。答は明らかで、ひとつは、編集者はその筋の専門家ではないために不適切かどうか判断できないからである。専門家による編著であったとしても、このような類の本の場合、実際の編集や監修はほとんど編集者主導で行われる。
 そして理由のふたつめは、件の本を出している出版社はこれまでA氏の著作物を数多く出版しているからである。つまり編集部とA氏に太いパイプがあるということ、すなわち内容の信頼性や確実性ではなく、使いやすさが理由であろう。しかもA氏の肩書きや経歴を調べると、編集者でもあるらしい。編集部にとってみれば、これほど使いやすい人間はいない。内容の確実性は二の次であって、箔を付けるためだけに大学教授を編著者に据え、全部の項目をA氏に任せるのには時間的な問題もあってか、その教授の推薦か、もしくは多少なりとも付き合いがあるといった理由で研究者など他の執筆者をあてがったのだろうと思われる。
 本や雑誌は編集部や編集者の、テレビやラジオの番組なら局や制作会社のプロデューサーやディレクターの裁量によって作られ、発信される。監修者が付いていようと、たいていの場合は、彼らの目を通したものしか世間に発信されることはない。前回の記事に元凶は編著者やA氏だと書いたが、不適切な情報が発信される本当の元凶は彼らといっていい。
 われわれが簡単に目にし、手に取ることができる媒体による情報なんて、そんな適当なものに過ぎないわけで、ネットにおける情報と、たいして変わらないのである。

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信頼できない発信3 [雑感]

 大手の出版社から、その筋では知られた研究者を編著者にして出版された一般向けの本に書かれている、執筆者A氏の記述に見られる不適切な点についての続き。
 次に「大山咋神」についての項。この神は京都松尾大社および滋賀日吉大社の祭神である。記紀神話では、『古事記』に一ヶ所のみ、語られている。それによれば、大年神と天知迦流美豆比売の子で、別名を山末之大主神といい、「近淡海国の日枝の山に坐し、亦葛野の松尾に坐して、鳴鏑を用つ神ぞ」とある。つまり比叡山と松尾に鎮座して鳴鏑の矢を持っている神、ということで、これが記紀において大山咋神について語られている唯一の記事である。
 ところがA氏は、次のように書き進めている。「記紀には、大山咋神の御子を身ごもったときの話が、次のように記されている。」として、大山咋神が狩りをしていたとき矢が外れて小川に落ち、その矢を拾った建玉依比売が持ち帰ったところ、子を産んだ、云々、という。
 このような話は、実際は『古事記』にも『日本書紀』にも書かれてはいない。
 類似の話なら、「山城国風土記」逸文にある。玉依日売が川で丹塗矢を拾い持ち帰ると、妊娠して男子を産んだ、という話で、賀茂別雷神社および賀茂御祖神社の由来譚である。しかし矢の正体は大山作神ではなく、火雷神とされる。
 また「秦氏本系帳」逸文には、上記の話の矢を松尾大明神すなわち大山咋神とする話がある。しかしこちらでは矢を拾ったのは「秦氏の女子」であり、玉依日売ではない。玉依日売は賀茂建角身命の娘だから、賀茂氏の女子である。
 こちらが確認していない何かの書物に、大山咋神が狩りをしているとき矢が外れて川に落ち、といった話があるのかもしれないが、少なくともそれが記紀ではないことは確かだ。

 このような誤りのある記述が、A氏の単著においてなされているのなら、ただ笑っていれば済むだけかもしれない。しかし単著でないから困るのだ。というのは、その筋では知られた研究者を編著者としているゆえにある程度の信頼が置かれ、この間違った記述を参考にしているサイトが存在し、つまりは誤りが多少なりとも増殖しているらしいからである。
 そのサイトの参考文献を提示しているページには、文献を著した「先生方」に「尊敬と敬愛の念」を持ち、そんな「偉大なる先生方の意思を引き継」いで日本文化の継承に少しでも役に立てば嬉しいといった言葉が添えられている。本当にそう思うならもっとちゃんとした本を参考にし、自身で記紀くらい確認しろよと思うけれども、それはともかく元凶は、不適切な記述の多いA氏と、そんな本の編著者として内容の確認を碌にしていないらしい某研究者であろう。
 ちなみに十年ほど前に出版されたこの本、後に廉価版でも出ている。この版では某研究者の名が消え、某編集部編となっているのだが、単にコンパクト化のための削減によるか、ようやく中身を確認した当人が呆れて身を引いたのかは、知るよしもない。

 しつこいようだが、また次回に続く。

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信頼できない発信2 [雑感]

 大手の出版社から、その筋では知られた研究者を編著者にして出版された一般向けの本に書かれている、ある執筆者(以下、A氏とする)の記述に見られる不適切な点についての続き。
 その前に、前回の記事に誤りがあったので訂正をひとつ。櫛名田比売の項をA氏によるものとして紹介したが、実際は別の執筆者だった。他人の文章の誤りを指摘するこちらの文章にも誤りがあっては世話ないとはいえ、しかし生贄という表現が不適切であることには変わりない。問題のある執筆者が一人ではなく二人だったというだけのことである。ただ、今のところその櫛名田比売の項の執筆者に、他の不適切な記述はとりあえず見つからない。

 前回の続きに戻る。本来ここで批判する筈だったA氏の問題がある記述は「大年神」の項。
 大年神はいわゆる歳神様、五穀の豊饒をつかさどる神である。A氏はこの神を、『古事記』で大国主神の前に海を照らしてやって来て、自分をよく祀ったなら国作りも成功するだろうと語りかけてきた神のことだと説明している。記紀神話をある程度知っている人ならわかると思うが、通常は、大国主神の前に海を照らしてやって来た神は大物主神とされている。
 ただし、大年神だとする解釈は、ないわけではない。上記の話においてやって来た神の名は具体的に記されてはおらず、この話に続けて「故、其の大年神~」と系譜が列挙されているために、前の話に出てきた正体不明の神は大年神なのだと読むことが可能だからである。
 しかし内容から判断するなら、やって来た神は大年神ではなく三輪山の大物主神であり、「故、其の」で始まる段は編纂時の不手際か何かであろうと推測できる。このような話の続き具合における乱れは『古事記』には他にもいくつか存在しているのである。また、そもそも『日本書紀』に類似の話があり、こちらでは大己貴神の前に現れて三諸山に鎮まることになった「大三輪の神」のことを大年神だと解釈する余地はまったくない。
 A氏が『古事記』の件の神を大物主神ではなく大年神だとする解釈を正しいと考えた、その判断は尊重されなければならないかもしれない。しかし、その判断は、さらに二つの点において承諾しがたいものである。
 ひとつは、やって来た神に大国主神がどのように祀れば良いかと尋ねたときの返答に「吾をば倭の青垣の東の山の上にいつき奉れ」とあり、「此は御諸山の上に坐す神なり」と説明されている箇所に関してのことだ。自分を大和国の青々とした垣の東の山頂に祀るように、と求め、そしてこの神は御諸山に鎮座している神である、ということで、奈良盆地の東の三輪山に祀られていることが明白になっている。この『古事記』の記述についてA氏は、大年神が大国主神に「これまでは御諸山の山上にいたが、これより大和国の青垣山に祀れ」と告げた、としている。
 どの研究者がこのような解釈をしているのか、今は詳らかにできないが、「倭の青垣の東の山の上」と「御諸山の上」が同じ場所を指していると思われる以上、A氏が書いているような御諸山から青垣山に移動したとは読み取れない。A氏の書いている解釈(というよりA氏が参照した研究者の解釈だろうが)には「東」の語が、おそらく意図的に抜かされている。大和国の東に位置して大国主神との関係の深い神が祀られる山と言えば三輪山(御諸山)であるから、御諸山から青垣山に移動したと解釈することはできないのである。
 もうひとつの承諾しがたい点は、この本が複数の執筆者による事典の類であるにもかかわらず、このような特殊な説を採用している点だ。よく知られた岩波書店の日本古典文学大系本、また小学館の新編日本古典文学全集本の『古事記』でも件の神は大物主神と理解され、それは平成二十一年に刊行された角川ソフィア文庫の中村啓信訳注『古事記』でも、さらに本居宣長の『古事記伝』でも同様である。もちろん通説が正しいとは限らず、必ずしも従う必要はない。しかし個人の著作物においてならば、正しいと考えるのならいくらでも通説とは異なる見解に従ってもよいし、独自の見解を披瀝してもかまわないが、事典の類でそういうことをするのは一種のマナー違反であろう。少なくとも、大物主神のことだとする通説に触れることくらいはするべきだと思われる。

 だらだらと、どうでもよいことを書いている気がしてきたが、次回に続く。

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信頼できない発信1 [雑感]

 何かの分野の専門家でない人物がその分野のことについて語るのは、とりたてておかしなことではない。知識や情報は専門家たちの専売特許ではなく、それらの発信についても同様であろう。
 ただし、その情報の発信が信頼性を根拠としたものではなく、単に人気があるとか視聴率を稼ぐとか、使いやすいからといった理由であるなら、大手のメディアの場合、問題があると思える。
 今回こういうことを書いているのは、前回に取り上げた池上彰について再び書こうとしているのではない。たまたま手に取った本を見て、改めてしみじみと感じたからだ。
 その本は複数の執筆者が関わっていて、特に問題だと思ったのは一人の執筆者だったので、とりあえず出版社もタイトルもぼかしておくことにする。日本の神々について解説した事典の形式の本だが、あくまでも一般向けの内容で、執筆者には大学講師もいれば、作家や編集者などその筋の専門的な教育を受けていない人物も多い。編著者に某大学教授を据え、十年ほど前にA5判で出版された。
 八人の執筆者のうち、問題の執筆者が担当している項目は半分近くになる。一人で多くを担当している理由の推測は後述するとして、妙な記述内容を次に挙げてみることにする。

 まず「櫛名田比売」の項に、「~夫婦の娘である。八岐大蛇に生け贄として捧げられるはずのところ~」とある。これは昔話風にアレンジされた子供向けの絵本などで「生け贄」と表現されることが多いと思われ、それで誤解している人もいるだろう。正しくは生け贄ではない。
 老夫婦の間に子供が八人いたが年ごとに大蛇がやって来て子を喰らい、今年もまたその大蛇がやって来る時期なので泣いているところに須佐之男命が登場する、という状況で記紀ともにおおよそ共通している。つまり、襲われて喰われることに為す術もなく悲しんでいるわけで、こちらの意思で大蛇に娘を捧げているのではないのである。毎年のように台風が襲来して人命が奪われることを、普通は生贄を捧げているとは表現しない。
 ちなみにWikipediaで「生贄」の項を見ると、「日本神話では、ヤマタノオロチの生贄として女神であるクシナダヒメが奉げられようとしたが、スサノオがオロチを退治して生贄を阻止した話が有名」とある(平成30年10月8日現在)。記紀神話において、老夫婦は娘を大蛇に奉ろうとはしているわけではない。よってこの記述は間違いである。

 思いのほか長くなりそうなので、続きは次回に持ち越すことにしよう。

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回想太宰治 [雑感]

 三十数年前に実家に残してきた本を、実家にて整理していたら、上京時に持ってきたと思い込んでいた本があった。どうりで、以前に探していたのに見当たらなかった筈だ。『回想 太宰治』野原一夫著、新潮文庫、昭和五十八年発行。著者は太宰の身近にいて、その遺体の引き揚げの場にもいた編集者である。以下、こちらの論評は抜きにして、印象深かった点をいくつか引用してみる。引用に際しては内容から判断できるため、太宰の言葉と筆者自身の言葉の区別は明示しない。また「…」とあるのはこちらが施した省略部である。


 ジャーナリズムの軽佻浮薄には呆れ果てた。きのうまで日の丸を振っていたと思ったら、きょうはもう赤旗だ。冗談かと思ったら、これが大真面目なのだからオドロくね。進歩的文化人とかいう輩は、あれは何ですか。…あの文化人どもには、ハニカミがまるでないじゃないか。戦争犯罪人だなんて大騒ぎしてるけど、ナンセンス。我々はみんな日本に味方したんです。戦争に協力したんです。負けると分っていて、いや負けると分っていたから協力したんです。見殺しにはできねえ。〔38頁〕

 私の記憶に、これだけは鮮明に残っている三島氏の言葉は、その直後に発せられたのか、すこし時間がたってからだったか。
「ぼくは、太宰さんの文学はきらいなんです。」
 まっすぐ太宰さんの顔を見て、にこりともせずに言った。
 一瞬、座が静かになった。
「きらいなら、来なけりゃいいじゃねえか。」
 吐き捨てるように言って、太宰さんは顔をそむけた。
 …白々しい空気が流れたのはわずかの時間で、太宰さんは素早くほかの話題を提供し、みんなを笑わせ、座はまたもとのにぎやかさに戻ったように思う。
 …のちに三島由紀夫氏は、…そのときのことを書いている。
 …私の記憶と、かなり違うようである。三島氏は「かなり不得要領な、ニヤニヤしながらの口調で」その一言を言ったそうだが、私には、そうは思えなかった。…能面のように無表情だった。…声に抑揚がなく、棒読みのような感じだったと思う。〔58-61頁〕

 訪客があった。雑誌『日本小説』の編集者が原稿を受け取りにきたのである。その日が雑誌の〆切日に当っていたらしかったが、太宰さんは一行の原稿もまだ書いていなかった。
 …やがて太宰さんは、コップをその編集者の前に置いてビールをつぎ、
「口述でやろう。きみ、筆記してくれ。しばし考えるから、ビールをのみながら待っていてくれないか。」
 …二十分ほどもしたろうか。太宰さんは編集者に原稿用紙を手渡し、目でうながし、それからゆっくりと喋りはじめた。
 …三十分か、四十分か、その時間は記憶していない。なんの渋滞もなく、一定のリズムをたもちながら、その言葉は流れ出ていた。私は目をつぶってその言葉を追っていた。はじめ私は、不思議な恍惚感に捉われていた。それは、美しい音楽を聴いている時の恍惚感に似ていた。やがて、胸をしめつけられるような感じに襲われ、そして、戦慄が私のなかを走った。
 …口述がおわると、筆記された原稿にざっと目を通し、二、三ヵ所に手を入れただけでそれを渡すと、…その作品「フォスフォレッセンス」のことにはひと言も触れず、女にもてすぎて困った話などをして私たちを笑わせた。〔178-180頁〕

 寝棺を霊柩車に納めようとしたとき、警察から待ったがかかった。この場で検視を行なうという。私たちは遺体を抱きあげて棺から出し、戸板の上にねかせて蓆をかけた。
 たぶんその時だったろう。カメラを手にした男たちが、張られてある綱をまたぎ、人を押しのけながら突き進んできたのだ。私たちは大手をひろげ、声を嗄らして叫んだが、あるいは多少の暴力沙汰に及んだかもしれない。
 翌朝の読売新聞には次のような記事が載った。
「太宰氏の死体引揚げや監視に、新潮社、八雲書店ら出版関係者、知人、人夫などが当ったが、このうち近所の者と称する屈強な若い男数名が、報道関係者を死体に近づけず、記者に裸電球を投げつけ、写真部員をこづきまわし、また棒切れをふりまわすなど取材活動を妨害して報道関係者の憤激を買ったが、…取材活動の暴力的な妨害に対して、近く適当な措置をとることになった。」
 …屈強な男、とは誰を指すのか。…屈強とされるような偉丈夫はいなかったはずである。…〝暴力的〟だったのは、お互いさまである。どのような「適当な措置」がとられたのかは知らない。おそらくなんの措置もとられなかったのだろう。〔209-210頁〕

 私は息をつめてその顔に見入った。その死顔は、じつにおだやかだった。…深い静かな眠りに入っているように瞼をとじ、口をこころもちあけ、その口もとには、そう、たしかに、ほのかな微笑がうかんでいた。あるかなきかのかすかな微笑が、うかんでいた。〔213頁〕

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非合理的な合理化 [雑感]

 子供の頃に九九を暗記する際、「A×B」においてAよりもBが少ない数字の場合、これを自己流で暗記の対象から外していた。
 具体的に書くなら、例えば5の段の場合、5×1から5×4までは除外し、5×5からをリズムをつけて暗記していたわけである。その理由は、例えば5×2はすでに2の段において2×5という形で出ているため、わざわざ暗記する必要が無いと考えたことによる。
 当時は合理的という言葉は知らなかっただろうが、自分では時間を短縮して暗記できる良い判断だと思っていた。しかしやがて、それが誤りだと気づくことになる。例えば6×3の場合、「ろくさん、さぶろく、じゅうはち」と、頭の中で3の段に変換した計算を間に挟み込ませて答を出しており、正しい答が出せるのだからそれで問題ないと最初は思っていたのだが、やがて効率が悪いことに気づいたのである。「ろくさん、じゅうはち」とすんなり答えられるなら、それに越したことはない。
 では、改めて九九を暗誦し直したかというと、それはしなかった。もはやそんな幼稚な作業に熱心に取り組む時は過ぎていたからである。時機を逸してしまっていた。
 暗記よりも考える力が大事だ、とは最近よく言われている。けれども母国語の習得と同じで、吸収力の高い子供の頃に何も考えずに詰め込むこともまた大切なのである。そして次の段階として、詰め込んだ知識を利用して考える力を育めば良い。よほどの天才でない限り年端もいかぬ子供の考えなど間違っていることが多く、基礎がしっかりしていれば、考えた末の結論の妥当性も高まる筈だ。
 もちろん九九の計算くらいなら、今や「しちご、さんじゅうご」でも「はちさん、にじゅうし」でもすぐに出てくるし、時間制限があったり誰かと競争しているわけでもないので、数字を逆に変換して少し手間取ったとしても問題はない。しかし、考える力も無い時期に変に考えて、大切な基礎を中途半端にしか得なかったことを、今は少し残念に思う。

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ムシの夏 [雑感]

 数年前の夏、死番虫という体長数ミリの虫が部屋に大発生し、ガムテープによる捕獲に追われていたことがあった。大発生とは言っても一度に現れるのではなく、毎日毎日どこからともなく現れるので、すぐに元を断って殲滅させることもできず難儀した。古い木造アパートだから、部屋というより建物内部のどこかで繁殖していたのだろう。
 ある夏にはカナブンが発生したことがある。ゴミ袋の中でがさごそしているからGかと思い、恐る恐る確認したらカナブンで、どこから入ってきたのかと不思議に思った。すると、いつも閉めたままの天袋の中からもカリカリと音がし、やはり慎重に確認したら生きているカナブンが二匹、死骸で一匹がいた。これも外から入り込む筈はないので、建物の中で成長したのだろう。
 これらの虫は甲虫であり、またGのように素早くはないから捕獲は簡単だった。
 この夏、部屋もしくは建物の中において、紙魚が大発生中らしい。
 死番虫と同じでたまに見かける虫だが、ここのところ頻繁に現れている。体長十ミリほどで銀色のエビのような、あるいは小さく細いフナムシといった感じか。やっかいなのは、とても素早い上に、柔らかいのである。死番虫のときのようにガムテで捕獲しようにもあまりくっつかず、力を入れると潰れてしまう。畳の上を走っている紙魚をうまくティッシュか何かで押さえたとしても、潰れ出た体液で畳に染みを作ってしまうことがあるのだ。
 こういう小さな虫の相手には、以前は小型のパーツクリーナーを用いていた。しかし使い果たし、もはや同じ大きさのものは売っておらず、大きい缶だと勢いが強すぎて虫を吹き飛ばしてしまう。そこで次に使えそうだと常に手元に置いているのは、アルコール除菌のスプレーである。これは先日、飛んでいる蚊にかけるとすぐに落下し、即死はしないが退治に使えた。おそらく紙魚にも有効だと思われるが、広い範囲に吹き出てしまうため本やプリントなどの紙が濡れてしまうような場所では躊躇われ、今のところ試す機会はまだない。そして小型のGにも有効だろうが、こちらに関しては試すことのないまま、この蒸し暑い夏が終わってくれることを強く期待している。

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子供思いの父親 [雑感]

 文部科学省の局長が東京医科大学に便宜を図り、見返りとして自分の子供を合格させて貰ったのではないかという事件。
 この容疑者が、大学に便宜を図ったのは安倍政権のためになると思ったから、と何かこじつけて弁明でもしようものなら、きっとマスコミと野党が擁護してくれる。元凶は安倍で、この局長は被害者であり、子供思いの立派な父親だと讃えてくれることだろう。
 そんな妄想があながち荒唐無稽とも思えない昨今である。

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