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回想太宰治 [雑感]

 三十数年前に実家に残してきた本を、実家にて整理していたら、上京時に持ってきたと思い込んでいた本があった。どうりで、以前に探していたのに見当たらなかった筈だ。『回想 太宰治』野原一夫著、新潮文庫、昭和五十八年発行。著者は太宰の身近にいて、その遺体の引き揚げの場にもいた編集者である。以下、こちらの論評は抜きにして、印象深かった点をいくつか引用してみる。引用に際しては内容から判断できるため、太宰の言葉と筆者自身の言葉の区別は明示しない。また「…」とあるのはこちらが施した省略部である。


 ジャーナリズムの軽佻浮薄には呆れ果てた。きのうまで日の丸を振っていたと思ったら、きょうはもう赤旗だ。冗談かと思ったら、これが大真面目なのだからオドロくね。進歩的文化人とかいう輩は、あれは何ですか。…あの文化人どもには、ハニカミがまるでないじゃないか。戦争犯罪人だなんて大騒ぎしてるけど、ナンセンス。我々はみんな日本に味方したんです。戦争に協力したんです。負けると分っていて、いや負けると分っていたから協力したんです。見殺しにはできねえ。〔38頁〕

 私の記憶に、これだけは鮮明に残っている三島氏の言葉は、その直後に発せられたのか、すこし時間がたってからだったか。
「ぼくは、太宰さんの文学はきらいなんです。」
 まっすぐ太宰さんの顔を見て、にこりともせずに言った。
 一瞬、座が静かになった。
「きらいなら、来なけりゃいいじゃねえか。」
 吐き捨てるように言って、太宰さんは顔をそむけた。
 …白々しい空気が流れたのはわずかの時間で、太宰さんは素早くほかの話題を提供し、みんなを笑わせ、座はまたもとのにぎやかさに戻ったように思う。
 …のちに三島由紀夫氏は、…そのときのことを書いている。
 …私の記憶と、かなり違うようである。三島氏は「かなり不得要領な、ニヤニヤしながらの口調で」その一言を言ったそうだが、私には、そうは思えなかった。…能面のように無表情だった。…声に抑揚がなく、棒読みのような感じだったと思う。〔58-61頁〕

 訪客があった。雑誌『日本小説』の編集者が原稿を受け取りにきたのである。その日が雑誌の〆切日に当っていたらしかったが、太宰さんは一行の原稿もまだ書いていなかった。
 …やがて太宰さんは、コップをその編集者の前に置いてビールをつぎ、
「口述でやろう。きみ、筆記してくれ。しばし考えるから、ビールをのみながら待っていてくれないか。」
 …二十分ほどもしたろうか。太宰さんは編集者に原稿用紙を手渡し、目でうながし、それからゆっくりと喋りはじめた。
 …三十分か、四十分か、その時間は記憶していない。なんの渋滞もなく、一定のリズムをたもちながら、その言葉は流れ出ていた。私は目をつぶってその言葉を追っていた。はじめ私は、不思議な恍惚感に捉われていた。それは、美しい音楽を聴いている時の恍惚感に似ていた。やがて、胸をしめつけられるような感じに襲われ、そして、戦慄が私のなかを走った。
 …口述がおわると、筆記された原稿にざっと目を通し、二、三ヵ所に手を入れただけでそれを渡すと、…その作品「フォスフォレッセンス」のことにはひと言も触れず、女にもてすぎて困った話などをして私たちを笑わせた。〔178-180頁〕

 寝棺を霊柩車に納めようとしたとき、警察から待ったがかかった。この場で検視を行なうという。私たちは遺体を抱きあげて棺から出し、戸板の上にねかせて蓆をかけた。
 たぶんその時だったろう。カメラを手にした男たちが、張られてある綱をまたぎ、人を押しのけながら突き進んできたのだ。私たちは大手をひろげ、声を嗄らして叫んだが、あるいは多少の暴力沙汰に及んだかもしれない。
 翌朝の読売新聞には次のような記事が載った。
「太宰氏の死体引揚げや監視に、新潮社、八雲書店ら出版関係者、知人、人夫などが当ったが、このうち近所の者と称する屈強な若い男数名が、報道関係者を死体に近づけず、記者に裸電球を投げつけ、写真部員をこづきまわし、また棒切れをふりまわすなど取材活動を妨害して報道関係者の憤激を買ったが、…取材活動の暴力的な妨害に対して、近く適当な措置をとることになった。」
 …屈強な男、とは誰を指すのか。…屈強とされるような偉丈夫はいなかったはずである。…〝暴力的〟だったのは、お互いさまである。どのような「適当な措置」がとられたのかは知らない。おそらくなんの措置もとられなかったのだろう。〔209-210頁〕

 私は息をつめてその顔に見入った。その死顔は、じつにおだやかだった。…深い静かな眠りに入っているように瞼をとじ、口をこころもちあけ、その口もとには、そう、たしかに、ほのかな微笑がうかんでいた。あるかなきかのかすかな微笑が、うかんでいた。〔213頁〕

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