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信頼できない発信1 [雑感]

 何かの分野の専門家でない人物がその分野のことについて語るのは、とりたてておかしなことではない。知識や情報は専門家たちの専売特許ではなく、それらの発信についても同様であろう。
 ただし、その情報の発信が信頼性を根拠としたものではなく、単に人気があるとか視聴率を稼ぐとか、使いやすいからといった理由であるなら、大手のメディアの場合、問題があると思える。
 今回こういうことを書いているのは、前回に取り上げた池上彰について再び書こうとしているのではない。たまたま手に取った本を見て、改めてしみじみと感じたからだ。
 その本は複数の執筆者が関わっていて、特に問題だと思ったのは一人の執筆者だったので、とりあえず出版社もタイトルもぼかしておくことにする。日本の神々について解説した事典の形式の本だが、あくまでも一般向けの内容で、執筆者には大学講師もいれば、作家や編集者などその筋の専門的な教育を受けていない人物も多い。編著者に某大学教授を据え、十年ほど前にA5判で出版された。
 八人の執筆者のうち、問題の執筆者が担当している項目は半分近くになる。一人で多くを担当している理由の推測は後述するとして、妙な記述内容を次に挙げてみることにする。

 まず「櫛名田比売」の項に、「~夫婦の娘である。八岐大蛇に生け贄として捧げられるはずのところ~」とある。これは昔話風にアレンジされた子供向けの絵本などで「生け贄」と表現されることが多いと思われ、それで誤解している人もいるだろう。正しくは生け贄ではない。
 老夫婦の間に子供が八人いたが年ごとに大蛇がやって来て子を喰らい、今年もまたその大蛇がやって来る時期なので泣いているところに須佐之男命が登場する、という状況で記紀ともにおおよそ共通している。つまり、襲われて喰われることに為す術もなく悲しんでいるわけで、こちらの意思で大蛇に娘を捧げているのではないのである。毎年のように台風が襲来して人命が奪われることを、普通は生贄を捧げているとは表現しない。
 ちなみにWikipediaで「生贄」の項を見ると、「日本神話では、ヤマタノオロチの生贄として女神であるクシナダヒメが奉げられようとしたが、スサノオがオロチを退治して生贄を阻止した話が有名」とある(平成30年10月8日現在)。記紀神話において、老夫婦は娘を大蛇に奉ろうとはしているわけではない。よってこの記述は間違いである。

 思いのほか長くなりそうなので、続きは次回に持ち越すことにしよう。

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