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非合理的な合理化 [雑感]

 子供の頃に九九を暗記する際、「A×B」においてAよりもBが少ない数字の場合、これを自己流で暗記の対象から外していた。
 具体的に書くなら、例えば5の段の場合、5×1から5×4までは除外し、5×5からをリズムをつけて暗記していたわけである。その理由は、例えば5×2はすでに2の段において2×5という形で出ているため、わざわざ暗記する必要が無いと考えたことによる。
 当時は合理的という言葉は知らなかっただろうが、自分では時間を短縮して暗記できる良い判断だと思っていた。しかしやがて、それが誤りだと気づくことになる。例えば6×3の場合、「ろくさん、さぶろく、じゅうはち」と、頭の中で3の段に変換した計算を間に挟み込ませて答を出しており、正しい答が出せるのだからそれで問題ないと最初は思っていたのだが、やがて効率が悪いことに気づいたのである。「ろくさん、じゅうはち」とすんなり答えられるなら、それに越したことはない。
 では、改めて九九を暗誦し直したかというと、それはしなかった。もはやそんな幼稚な作業に熱心に取り組む時は過ぎていたからである。時機を逸してしまっていた。
 暗記よりも考える力が大事だ、とは最近よく言われている。けれども母国語の習得と同じで、吸収力の高い子供の頃に何も考えずに詰め込むこともまた大切なのである。そして次の段階として、詰め込んだ知識を利用して考える力を育めば良い。よほどの天才でない限り年端もいかぬ子供の考えなど間違っていることが多く、基礎がしっかりしていれば、考えた末の結論の妥当性も高まる筈だ。
 もちろん九九の計算くらいなら、今や「しちご、さんじゅうご」でも「はちさん、にじゅうし」でもすぐに出てくるし、時間制限があったり誰かと競争しているわけでもないので、数字を逆に変換して少し手間取ったとしても問題はない。しかし、考える力も無い時期に変に考えて、大切な基礎を中途半端にしか得なかったことを、今は少し残念に思う。

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