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ヘイト報道 [報道]

 産経ニュースのサイトによれば、衆院選秋田一区で自民党議員が当選したとき、毎日新聞の秋田版にはその様子の写真とともに、「テカテカ光った自民党県連の幹部、オヤジたちの顔だ。(略)バンザイをし、カメラの前に居並び、乾杯までしている。めでたい、うれしいという無邪気さはどこから来るのか」などといったコラムが載ったという。
 これについて先日、毎日新聞は写真中に「自民党県連の幹部はいませんでした」と謝罪する文をサイトに掲載したらしい。
 もちろん、謝罪すべきポイントはそこではない。
 当選したことが当人や支援者たちにとってめでたく嬉しいことは当たり前だろうに、「どこから来るのか」とわざわざ冷ややかに書く。いろんな課題難題が差し迫っているのだとしても、当選という結果が出た直後なら喜ばなければむしろおかしい。
 開票結果が出る時間帯には当然、疲れて顔もテカる。それをわざわざ「テカテカ光った」「オヤジたちの顔」と書く毎日新聞コラム執筆者の下品な悪意は、いったいどこから来るのだろう。

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広い意味での強制性 [報道]

 慰安婦問題での誤りをようやく認めた朝日新聞だが、それでもまだ中途半端な言い訳や強弁をしていることは相変わらずの体質を示していて、このまま突き進んでとことんまで見離されればいいと思う。
 中途半端な言い訳や強弁とは、たとえば「広い意味での強制性があった」などという主張だ。
 広い意味での、という表現をこういう文脈で使うのはずいぶんと卑怯な論法で、もうなんでもありになってしまうからである。広い意味なら、強制性はなかった、でも通るのだから、まったく意味がない。
 これは以前にも書いたと思うが、「軍国主義を連想させる」という「連想」を用いることと同じだ。連想は自由だから、なんでも軍国主義や戦争や戦前戦時中の日本と結びつけることは可能なのである。靖國神社を総理大臣が参拝すると、反靖國の連中が参拝の目的は「平和な世界の希求」ではなく、勝手に「戦争賛美」だと連想してしまうことと同じだ。
 こんな曖昧な言葉を用いなければ強制性を主張できないところに、かえって主張の曖昧さが露呈していることを朝日新聞は気づいていないのだろうか。

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御巣鷹山の事故 [報道]

 御巣鷹山日航機墜落事故が取り沙汰されるとき、いつも思い起こすことが二つある。
 ひとつはまったくどうでもいいことだが、当時の自分は大学生で、ポスティングのバイトから帰ってきて疲れ果てているときにこのニュースを見たことだ。
 八月中旬の暑いさなかになぜそんなバイトをしていたのかというと、あまり人と会わなくていいし、肉体を使うといっても歩くだけだったからである。誇るものが僅かながらも知力くらいしかない身ながらそんなバイトしか選択し得なかったような難儀な性格は、三十年たった今でもたいして変わらない。変わったのは、もはや暑さの中を歩く体力さえなくなってしまったことだ。
 そしてもうひとつ思い起こすのは、事故から少し経ってからのことである。
 どこの新聞だったかは忘れたが、ある全国紙の投書欄に次のような趣旨の文章が掲載された。

「生存者たちは大怪我を負って苦しんでいるのに、なぜ自衛隊はヘリコプターにロープで引き揚げるという過酷な救助をしたのか。生存者たちが可哀想ではないか。」

 まったくけしからんことだ、だから自衛隊は駄目なのだ!といった自衛隊批判が展開されており、この状況無視の愚かに偏った主張を読んで、唖然としたのである。
 世の中にはどうしても頭の悪い人、思考の歪な人はいる。もちろんそんな人でも新聞に投書したりするわけで、それを止めることはできない。
 だが、投稿された意見を掲載する判断を下すのは、新聞社の人間なのだ。内容を判断した上で新聞社の人間が、掲載を決定する。決して怠惰な管理者に運営されるネット掲示板のように、どんなに荒唐無稽で筋の通らない意見であってもそのままアップされるというわけではない。つまり採用された意見は、新聞社が活字にして世に広めるべきと認めた意見だということだ。
 読者の筆の背後に隠れての批判だから、まったくもって悪質である。あんな悲惨な事故でも、被害者のみならず救出に向かう側にも相当の苦労を強いられる状況の事故であっても自衛隊批判に利用するという、マスコミの胸糞悪い偏向は、三十年経った今でも変わることはない。
 慰安婦報道の嘘をようやく認めた朝日新聞が、それでも開き直って子供じみた自己正当化をしているところにも、自浄能力をまったく期待できない腐りきった体質を露呈してしまっている。
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セクハラと差別 [報道]

 自民党所属だった男性都議会議員が女性議員にセクハラめいたヤジを飛ばしたことについて、自民党は傲慢になっているとか、海外でも問題視されているなどと、マスコミは大騒ぎしている。
 だが、かつて民主党の田中真紀子が子供のいない安倍総理のことを「種なし」と罵ったことは、マスコミではたいして騒がれなかった。海外メディアが大きく取り上げたかどうかについても、寡聞にして知らない。
 田中は他にも安倍総理が成蹊大学出身だから「学歴が低い」と馬鹿にし、また麻生元総理には「口の曲がった」「ひょっとこ」という表現で身体的特徴をからかっている。
 これだけの差別発言をしておきながら、田中真紀子は国会議員であるにもかかわらず、マスコミの上ではほとんど叩かれることはなかった。所属している民主党の体質が問題視されることもなかった。さすがに有権者からは呆れられたのか、その後は落選したが。
 要するに、「差別」意識が問題なのだ。それは女性差別ではなく、マスコミによる自民党への差別、そして男への差別である。
 件の都議会議員のヤジが下品なら、同様に安倍総理の抱えている病気に対しての民主党議員によるヤジも下品である筈なのだが、やはりこちらはマスコミ的に大きく批判されることはない。
 マスコミが振りかざす正義の多くは、差別意識に基づいている。

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セルビアの大洪水 [報道]

 先日たまたま知ったことだが、五月の中頃にセルビアを中心としたバルカン半島で百年に一度という大規模な洪水があったらしい。
 災害から二十日以上たって知ったというのは、テレビであまり報道されないからだろう。新聞には出ただろうが取ってない。ネットで検索してみると、同様に「知らなかった」「なぜマスコミで大きく報道しないのか」という声が多い。
 そしてもうひとつ知らなかったのは、セルビア国民が東日本大震災に際して、経済的に豊かでない国にしては多額の義援金を集めてくれていたことである。
 自身の生活も破綻の危機を迎えているため、五百円とか千円とか子供の小遣い程度の額しか手放せないから、大使館に出向くとか現金書留で送るとかは大袈裟で気が引ける。簡単にATMから振込むことができればいいが、今のところそのような受付はないようだ。でもなんとかしたい。
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餓死の事件 [報道]

 鳥羽水族館で5年ほど絶食していたダイオウグソクムシが死んだという記事を毎日新聞のニュースサイトで見た。
 そのページの「関連記事」に並んでいた四つの記事はすべて、育児放棄により餓死した女児についての事件と公判のものだった。
 機械的な選択なのだろうが、なんだかなあ。
 
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朝日新聞からの電話アンケート [報道]

 先日書いた朝日新聞からの電話アンケートの結果をネットで見ることができた。
 全国で7万9637件に電話し、回答率は58%だという。自分は暇とは言えアサヒシンブンに対する嫌悪感から切ろうかと思ったが、対応したのは六割もないのだな。
 質問に答えていて疑問に思ったのは、どの政党に投票しますかという質問に加え、自民党に対する好き嫌いを五段階で聞いてきたことだ。
 政党に対しての好き嫌いとは何なのか、いきなり聞かれても戸惑ってしまう。少なくとも自分は支持するかしないかという判断と、好きか嫌いかという判断は、まったく同じではないし、そもそも支持しない政党に対して嫌いという感情はあっても、支持する政党に「好き!」という感情を抱いたことはない。したがって自民党に投票すると答えながら、好き嫌いについては「どちらでもない」と答えざるを得なかった。なんとも意図の不明な質問だ。
 投票に新聞やテレビを参考にしますかという問いもあったが、それについての結果はなぜか見出せなかった。興味あるところだが。
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右手と左手 [報道]

 某クイズ番組で手水の使い方について、右手と左手のどちらを最初に清めるかという問題があり、左手を先とするのが正解だった。もちろんそれはそれで正しい。
 だが、マナーに関するある本を根拠としたその理由は、「左手が不浄だから」というものだった。これはまったくの出鱈目である。
 元来、日本では、右と左では左が格上とされる。左大臣と右大臣では、左大臣の方が格上である。神社で本殿が複数ある場合、例外も勿論あるが多くの場合、格上の神を左の御殿(参拝者から見れば右側)に祀る。拍手をするときに左手を少し上にずらすのも、根拠は明確ではないけれども、左手が右手よりも尊いからと説明されることが多い。
 神社に関することなら神社関係の本を参考にすればいいのに、マナーの本を参考にする点、いい加減な番組作りだと感じさせる。結局、番組製作者側にとってみれば、正しいかどうかはどうでもいいのだ。根拠があれば、その根拠に信頼性があろうとなかろうと、責任を押しつけることができるからである。
 そしてこのような姿勢がバラエティ番組だけでなく報道やドキュメンタリーでも同様であるため、作り手の匙加減ひとつで白を黒と主張できることは、いろんな例をもってして明らかなことだろう。
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真紀子節とか [報道]

 マスコミに民主党政府からの機密費が流れているという噂が本当かどうかは知らないが、さもありなんと思わせるような報道姿勢をマスコミが取り続けているのはこの期に及んでも変わることがない。
 大学認可問題に関しての一連のドタバタを巡る報道で、「真紀子節」「真紀子流」「真紀子劇場」などというフレーズで括って取り沙汰するのはいかがなものだろう。
 なんとか流、なんてものではない。あれは田中真紀子という人物の単なる出鱈目で気違いじみた言動に過ぎないものだ。そしてあれが大臣や議員の資質どころか、普通の責任ある大人としても疑わしく思えるほどの異常な言動であることは、小泉内閣で外務大臣だったときに嫌というほど解っていた筈なのである。
 「認可できない」という発言を事務方が「不認可」だと理解したことを、事務方の、そして国民の「誤解」だと言い張ってあくまでも自分は間違ってたいないと主張する田中真紀子は、おそらく取り繕いではなく、本気でそう思っている。そのように確信させるほど小泉内閣の時から自分勝手な主張に終始していた。
 もし田中ではなく他の大臣が同じような問題を引き起こしたら、どうなっていただろう。良くも悪くも田中ほどにキャラが立っている人間はいないだろうから、ただ、「大臣の資質なし」「出鱈目」という批判であって、さらにこれが自民党政権のときならば、大臣を辞任するまで、最悪は自殺するまで叩き続けていただろう。
 なんとか節とかのフレーズで衣に包むようなものではなく、公正で客観的な報道をマスコミには期待したいが、まあ、無理だろうな。
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マスコミ民主党共同体 [報道]

 隠し子が発覚した軽薄そうなキャスターが国会の代表質問について、「言ったとか言わないとか、公約違反とかそうじゃないとか、そんなことはどうでもいいですよね」とほざいていた。
 どうでもいいわけがない。
 こういうことがマスコミにおいて「どうでもいい」と言われるようになったのは、民主党政権になってからだろう。かつては政治に直結しないことでも大騒ぎして自民党議員を罵倒し貶めていたマスコミは、今や政治に直結することでも民主党議員には少し批判めいたことを口にするだけで、大筋では擁護している。
 発言の信頼性とか公約の遂行といった問題は、政治家にとって最も重要でなければならない筈だ。「どうでもいい」どころの話ではない。
 かつての発言や公約を蔑ろにするようないい加減で無能な政治家たちに、国を運営して貰いたくはない。そんな民主党議員たちを野党が批判するのは当然である。国難の時だからこそ、そんな与党を批判し、場違いに指導的な立場にいる政治家たちの退場を迫るのが野党の務めだろう。
 民主党と同じく、この国を傾けようと躍起になっているのがマスコミなのだと、今さらながら確信せざるを得ない。
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