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広い意味での強制性 [報道]

 慰安婦問題での誤りをようやく認めた朝日新聞だが、それでもまだ中途半端な言い訳や強弁をしていることは相変わらずの体質を示していて、このまま突き進んでとことんまで見離されればいいと思う。
 中途半端な言い訳や強弁とは、たとえば「広い意味での強制性があった」などという主張だ。
 広い意味での、という表現をこういう文脈で使うのはずいぶんと卑怯な論法で、もうなんでもありになってしまうからである。広い意味なら、強制性はなかった、でも通るのだから、まったく意味がない。
 これは以前にも書いたと思うが、「軍国主義を連想させる」という「連想」を用いることと同じだ。連想は自由だから、なんでも軍国主義や戦争や戦前戦時中の日本と結びつけることは可能なのである。靖國神社を総理大臣が参拝すると、反靖國の連中が参拝の目的は「平和な世界の希求」ではなく、勝手に「戦争賛美」だと連想してしまうことと同じだ。
 こんな曖昧な言葉を用いなければ強制性を主張できないところに、かえって主張の曖昧さが露呈していることを朝日新聞は気づいていないのだろうか。

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