失点承知で [政治]
意味不明な発言を連発することで知られる議員の小西ひろゆきが、また奇妙なつぶやきを発信して話題になっている。全文を引用すると、「W杯。主審の目の前でハンド反則でシュートを止めたコロンビア選手。チームを救うための究極の行為は一発レッドカード。反則は絶対悪、退場も最悪ミスだが、我が身を捨てた執念の行為に、あの瞬間に何もせず、失点承知でシュートを見送るだけの国会議員が何人いるだろうかと考えた。安倍政治は罪深い。」となる。
最後の一文だけを言いたくて、しかし上手く繋げられずに失笑やら嘲笑やらを誘うことになっているのだが、安倍政治云々はともかくとしても、やっぱり意味不明だ。
あの選手のあの行為はチームを窮地に陥らせるだけだから「チームを救うための究極の行為」ではないのだが、それを「我が身を捨てた執念の行為」とも言うからには、前半部ではあの行為を称えているように読める。しかし後半の「失点承知でシュートを見送るだけの国会議員が何人いるだろうか」という文のニュアンスからは、「だけ」は否定的とはいえ、そのような望ましい国会議員は果たしてどれだけいるのかと嘆いているようにも読めてしまう。本当は失点を承知した方が後々のためになることだからだ。まあおそらくは、〈あの瞬間に退場を承知でシュートを止める国会議員が何人いるだろうか〉と言いたかったのだと思われるが、いろいろと狂ってしまっているのだろう。
本当に狂っているのは、サッカーではなく現実の政治に置き換えるなら、「我が身を捨てた執念の行為」は民主主義に対する反則行為、すなわちテロリズム等を称えているように読めることである。文章そのものが狂っているから、はっきりとそうだと非難しにくいことは、小西議員にとって多少は救われるところかもしれないが。
最後の一文だけを言いたくて、しかし上手く繋げられずに失笑やら嘲笑やらを誘うことになっているのだが、安倍政治云々はともかくとしても、やっぱり意味不明だ。
あの選手のあの行為はチームを窮地に陥らせるだけだから「チームを救うための究極の行為」ではないのだが、それを「我が身を捨てた執念の行為」とも言うからには、前半部ではあの行為を称えているように読める。しかし後半の「失点承知でシュートを見送るだけの国会議員が何人いるだろうか」という文のニュアンスからは、「だけ」は否定的とはいえ、そのような望ましい国会議員は果たしてどれだけいるのかと嘆いているようにも読めてしまう。本当は失点を承知した方が後々のためになることだからだ。まあおそらくは、〈あの瞬間に退場を承知でシュートを止める国会議員が何人いるだろうか〉と言いたかったのだと思われるが、いろいろと狂ってしまっているのだろう。
本当に狂っているのは、サッカーではなく現実の政治に置き換えるなら、「我が身を捨てた執念の行為」は民主主義に対する反則行為、すなわちテロリズム等を称えているように読めることである。文章そのものが狂っているから、はっきりとそうだと非難しにくいことは、小西議員にとって多少は救われるところかもしれないが。
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