SSブログ

備えあれば非難あり [雑感]

 北朝鮮のテロリストが日本や韓国に潜伏していることの危険を語った研究者に対し、一部で(と思われるが正確なところは不明)非難の声が挙がっている。
 昨年、ミサイルが飛来したときの対応について滋賀県教育委員会が学校等に通知を出したとき、「戦争の危機を煽るもので子供に不安を与える」と教職員組合が抗議したという話を思い起こした。
 危機に対してどのように備え対処するかを教えるより、不安を与えないことの方が大事だとするのは、まるで健康のためなら死んでもいいといった冗談と同じ発想で正気とは思えない。こういう連中が火災避難訓練に対しても「火災に遭う不安を子供に与えかねない」と反対しているのならまだ一貫性はあるが、おそらくそんな愚かなことは主張していないのだろう。これは一部の(と思われる)連中が罹患している戦争アレルギーとでもいうもので、自身のみならず、他者の生命財産をおびやかす危険な病である。
 潜伏テロリストの危険に対する警鐘を批判するのは、某芸人が同性愛者のキャラを演じたり黒人俳優の風貌に扮したことへの批判と同じで、差別ではないものを差別だと騒ぎ立てる筋違いの言いがかりに過ぎない。
 某評論家が「韓国朝鮮系の子どもたちがどんな辛い思いをするか少しでも考えたのだろうか」と何故か子供を出しにして批判したのもやはり筋違いだ。危険への警鐘が差別に「つながる」という指摘なのだが、つなげることに差別意識が働いているのであって、つながる素材そのものの提供者には無関係な話である。素材の提供に配慮しろと言われても、たいていのものはつなげようと思えば何かにつながるものなのである。
 映画『ジョーズ』で、サメの出没を理由に遊泳禁止が求められるも、浜辺の観光に影響が出ることを恐れた有力者によってもみ消され、結果、多くの被害を出すことになる。そんな話も思い起こした。テロリストやロケットによる被害が杞憂に終わればいいが、かつて北朝鮮による拉致事件なんて嘘だと主張していた連中は、事が明らかとなっても誰も責任は取らないし、どうすれば責任を取ったことになるかも曖昧だ。もし仮に被害が発生したとして、件の研究者を批判している連中も滋賀の教職員も、責任を取ることはなく、取りようもない。おそらく、未然に防げなかった自国に外交努力が足りなかったと決めつけ批判するのだろう。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

勇気とは何か神器承継と皇室典範 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。