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オノマトペを知らない編集者 [雑感]

 もう二十年以上も前のことだから、当時ベテランの域だったと思われるその編集者はもう定年退職していることだろう。某著名出版社の編集者で、知り合いのある先生から口述のテープを起こすことを頼まれ、その際に知り合った。
 起こした原稿を編集者に渡し、やがて三人が顔を合わせて打ち合わせをしたとき、配られた原稿をめくっていて驚いた。その原稿には編集者が疑問点などを書き込んでいるのだが、文中に出てきたオノマトペという語に傍線が引かれ、?マークが付けられていたのである。それは文脈から見て決して間違った用法でも分かりにくい用法でもないから、単に編集者がその言葉を知らないためと思われた。
 原稿を初めて見る先生からすれば、編集者ではなくテープ起こしをした私がオノマトペを知らずに疑問符を付したと思うだろう。まさか編集者が知らないとは考えないだろうからだ。
 まいったなあと思ったが、あからさまに「オノマトペというのはですね」と説明するのも気が引ける。逡巡しているうちに、休憩となって先生が席を外しているとき、どうしてこの言葉に疑問符を付けているのかと編集者に尋ねてみた。するとやはりオノマトペという言葉そのものを知らなかったことが判明し、説明すると、ああなるほど、と納得していた。
 知り合いの某先生に私が無知だと誤解されたのではないかと危惧したこと、そしてオノマトペも知らないベテランの編集者がいることに驚いたことで、記憶に残っている話だ。
 ただ、その道のプロであっても、案外と知らないことはあったりするということは、今となっては理解できる。人は自分の知っていることは知っているが、知らないことは知らないからである。知っていることについて語ることはできるが、知らないことについては語り得ないので、自分が何を知らないのか明確に意識することはできないのだ。
 学生の時分には、大学教授と言えば自身の専門分野については何でも知っているのだろうと思っていたから、まれにこちらが知っていることを教授が知らないという場面に出くわすと、ああこの先生はたいしたことないんだなと思ってしまった。もちろんそんなことはない。知識の量やその使い方からすれば、はるかに教授の方が多く優れているのに、ひとつの欠けている点のみをもって優越感に浸り相手を見下していただけである。
 他者への批判や嘲笑にはこの手のものが多い。正当な批判と言い難いような批判は、このブログではしていないつもりとはいえ、何かを表明したり検討したりする文章を書く上で多少なりとも自身の傲慢を露顕させてしまうことはあるだろう。常に意識すべきことだろうが、これがなかなか難しい。

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