SSブログ

教科書に載らない日本の謎 [社会]

 ようやく今年の「教科書に載らない日本の謎」を見た。このシリーズは今回で三回目だったか。前作も前々作も間違いや不十分な解説が散見され、せっかくのテーマなのに残念に思ったが、今回もやはり同様の出来だ。
 やっぱりテレビは駄目だ。映像で説明されるとわかりやすいように感じるけれども、結局のところ情報量が少ない。少ないから、そしてまた関心を集めるため(視聴率を得るため)に、印象的な煽りの語句が繰り返され、面白さをもたらすかもしれないが結局は中途半端な知識しか与えない。
 監修者にはそれなりの専門家がついているようだが、おそらく、全体を隈なくチェックしているわけではないのだろう。とてもしっかりとチェックしているとは思えないようないい加減な出来だからである。

 今回に関しては、例えば、
・空海と最澄の仲違いの原因を経典の貸し借りにおける「ささいなこと」と表現していたが、空海の密教の立場からはそれは決して些細なことではない筈で、その密教の立場は番組内でも説明していた。なのに、何度も繰り返して「ささいなこと」での仲違いだと馬鹿にするニュアンスであった。
・佐野厄除け大師の「大師」を弘法大師に由来すると説明していた。実際は慈恵大師(良源)に由来する。
・明治政府の宗教政策について「廃仏毀釈で仏教をたたいた新政府」と表現していたが、明治政府の政策は神仏の分離であって、廃仏毀釈ではない。それを行ったのは主に勘違いした民間側である。

 その他にも、間違いではないけれども何だかなあと思ったのは、
・日本語の中に見られる仏教語についてのコーナーで、コントに登場する人物に「ゴルフ三昧の夫」と説明されているので「三昧」は仏教語だと解説するかと思ったら、なぜかそれには触れなかった。
・柳原可奈子が自身が連れて行かれていたお寺で「ナムアミダボウ」と唱えていたと発言し、ナムアミダブツを言い間違えたように笑われていたが、浄土真宗では「ナムアミダブ」と唱えるから、あながち言い間違いでもない。そんな宗派による唱え方の違いについての言及はまったくなかった。
・同じく柳原は地蔵菩薩について「まだ修行中だったんだ、あいつ、みたいな」と発言して笑いを取っていたが、なんとも不敬で不愉快な発言だった。

 何よりもっとも残念なのは、この番組がシリーズになって放送されるほど、この程度の内容の番組でも「へー、知らなかった」と面白がる日本人が多いらしいことだが。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

お炊き上げ大震災と天罰 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。