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責任と罪 [雑感]

 自身の覚悟の表明として、「責任は私が取る」とか「罪を背負って生きていく」といったフレーズをよく耳にする。しかし、こんな言葉ほど白々しいものはない。
 何かしらの責任を取って職を辞したとしても、だいたいにおいて発生した被害というものは責任者一人ではなく周囲の多くの者に及んでいるもので、その辞職が失敗や損失に見合うとは限らないだろう。
 罪を背負うという言葉にいたっては、当人の心の持ち方といった問題に過ぎないのであって、たとえ本当にそんな意識を抱えたとしても被害や損失が解消されるわけではない。罪の意識という言葉と引き替えに責任から逃れようとする卑怯な方策としか思えないのである。
 平成になって間もない頃、不倫問題が発覚したクリスチャンの某女性芸能人が信仰の面からの問題を問われたとき、宗教は罪人のためにあるといったことを答え、卑怯だなと思った。平成が終わろうとしている近年、その芸能人は再ブレークしたようだったが、また不倫が発覚して芸能活動は収縮した。やはりそんな発言をしている人間は何も学ばず、愚行を繰り返して自身のみならず他者をも不幸にするのかと、かつて歌番組で純真そうに歌っていた顔を思い浮かべながら、しみじみと思う。

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